増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

地場への心(四)

兎に角山名としては、現在はその働きの旬に直面している訳なのであります。でありますから皆様にその覚悟になって働いて頂かねばならぬのであります。お道の大勢から考えて見ますと、四十年祭の声がかゝってから、四ヶ年の間には、中途で中だるみが出て来て…

地場への心(三)

又ある時、ある先生の息子が勉強をしたいと云ってお願いをしたことがあります。所がその時神様は「勉強することは許してやるが、三年分の勉強を一年でして来い。」と仰せになったと云うこともあります。その人人の精神次第で、一年間に三年分の仕事も、やれ…

地場への心(二)

教祖四十年祭が提唱されて以来、倍加運動が叫ばれ、全天理教はこの本部の声に対して、渾身の努力をして来ましたので、今や凡そ倍加に近くなっているのであります。しかるに山名はこの運動に遥かに後れてはないだろかと思ふのであります。名京分離の節があっ…

地場への心(一)

昨年の確か一月であったと思ひますが、女学校の寄宿舎で、こちらの教会長なり信徒方のお集りの所で、一度お話し申し上げたことがあります。その時の話はよく記憶していませんが、大体こんなことを、申し上げたと思ひます。 尚教会に対する久しい問題も解決し…

震災地より帰りて(六)

今の所では教会の方は大体判っていますが、信徒さんの方はまだ判っていないので、今尚調査していますから、何れ詳しいことの報告が、近い中に来るとと思います。兎に角、数多い事でありますから、どんな人があるかも知れませんが、お道の人は割合助かってい…

震災地より帰りて(五)

それから私は行かなかったけれども、小田原の方から来たものの話によると横浜よりも一層地震が強かったと云います。こちらの方では横に揺れたのであるが、その地方では四尺からの上下動で、上に飛び上がったかと思うと落ちてつぶれ、すぐ火事が起こったと云…

 震災地より帰りて(四)

全く焦土と化した東京の廃墟に、親や子供を尋ね廻っている罹災民を見たり焦げただれた死体を見ると、実際酸鼻の極と云いませうか、地獄以上の有様であります。 その翌日は、用事もあり疲労も激しかったので支庁に居り、翌々日即ち八日に横浜へ出掛けました。…

震災地より帰りて(三)

一方罹災者が食物を請う様は、目も当てられない悲惨なものでありました。殊に平常から貧困なものは、そうでもありませんが、相当な家のお嬢さんや、奥さん等は、飢えのために側まで寄って来るが、恥しがって手を出さない。手を出さなければ食物を得ることが…

震災地より帰りて(二)

それから高崎辺まで行くと、もうそこでは流言飛言が盛んに言いふらされて地方長官の証明なければ入京出来ないかと、軍隊が守っているから決して普通では入れないと云う様なことが云はれていました。そこで私は、前橋で一先づ下車して、県庁の証明書を貰って…

震災地より帰りて(一)

本月の三日に本部から、東京の震災地へ出張を命ぜられまして、漸く一昨夜帰って来たのであります。 皆さんは、東京横浜方面から、この学校へ入学するためにお帰りなった方々でありますが、今度の震災で、さぞ家のことが心にかゝって居られることと思います。…

地場を辞する人々へ(五)

「用木に神が入り込む」と神様は仰せられています。心に神が入り込んで働いて下さるのでありますから、人間思案の及ばぬことが見えて来るのは、何も不思議ではないのであります。所で、神様に入り込んで働いて貰はうとすには、此方の心を綺麗に掃除して置か…

地場を辞する人々へ(四)

所で、学校を卒業せられたら、夫々国所へ出て布教をして貰はねばならないのでありますが、今までやって来た様な布教の仕方をして居って貰っては困ります。何故ならば、神様は「三年経てば遠慮気兼は要らぬ」と仰せられています。これまでは、お道の人は、世…

地場を辞する人々へ(三)

この希望の光りある中に、皆様が世上のことを止めて、教校へ這入って来られたと云うことには、大へん大きな意義があります。皆様には、皆様個人としての意義があるのであります。同時に神様としても、又大きな思召があるだろうと思います。 一体この御地場と…

地場を辞する人々へ(二)

四十年祭までは、前にも述べた様に兎に角恐ろしい勢で進展して来ることでしょうか、そうなると四十年祭後の天理教は如何なるかと云うのに、私はそれは余程大きな節になろうと思うのであります。何故ならば四十年祭に続いて、五十年祭が来るからであります。…

地場を辞する人々へ (一)

今日は皆様が何故教校へ入学して来られたか、そうして今後如何にして通って行けばよいか、と云うことをお話する積りでありますが、この話が本当に判りさへすれば、これまでお話したことが、皆様の胸に蘇って来る時期があるだろうと思います。 話を進めて行く…

神の守護(五)

心を合せて喜んで道を通れば、神様も喜んで働いて下さるのでありますが、成らん様なことでも、神様の御守護で出来るのであります。人間は成ることは誰でもする様に思いますが、道は成りそうなことが成らず、ならんことが成って来るのでありますが、そこに神…

神の守護(四)

人はよく慾を取って終うと云うことを言って居ますが、慾は取れるものではないのであって、慾は忘たらよいのであります。神様も慾を捨てよとは云って居られない。御神楽歌の中にも「慾を忘れてひのきしん」と仰せられていますが、実際は慾は取ろうしても取れ…

神の守護(三)

人はよく分るとか分からんと云いますが、世の中のことは分からん方がよいのであります。人間で考えて分からないのが本当であります。分ると云うことはものを分けることであって、ものが分れば小さくなってしまうので、分からない方が大きいのであります。 教…

神の守護(二)

信仰の経路から申しますと、最初は貸物借物の理を聞かして貰うのでありますが、貸物借物の理に次いで、心一つが我がの理であると云うことを聞かして貰うのであります。そしてこれが悟れたら、因縁を自覚させて頂くことが出来るのであります。自分と云うもの…

神の守護(一)

人はよく誠と云うことを申しますが、本当の誠はそういう口で云う様に、容易に現れるものではありません。本当の誠は一番苦しい時に現れるものであります。 一切を捨てて難儀苦労をする中に、誠が現れるのであって、難儀苦労をすると云うことは、誠を知る為に…

年限の理(五)

知ると云うことと感ずる云うこととは大変意味が違います。教祖の御言葉でも、それを知るのは誰でもすぐ知ることが出来ます。けれども本当に教理を感ずるのには、一つの教理でも十年位はかゝるのであります。 そこでこのお道は「年限の道」と仰せられてありま…

年限の理(四)

年限の理 この様に道を辿り行くのには、何かなしに行くのであるかと云いますと、決してそうではありません。そこに何か目標がなければなりません。そしてその目標は必ずしも一様ではありません。時によると変わるのであります。初めて信仰する人は、神様に身…

年限の理(三)

しかしこれは教祖の主観的な見方でありますが、外部の迫害を受けて、その中を通り越して行く経路も亦お説きにっています。これは山坂やいばらぐらう等の八つの道すがらでありますが、これは教祖の通られた道であると同時に私等の当然通らなければならぬ道で…

年限の理(二)

それでは、そんな信仰はどうして得られえるか云へば、人々が或苦痛を感じている時は、多く得られるものであります。苦痛には肉体的苦痛と、精神的の苦痛がありますが、要するに一身の苦悶の時とか、一家の不和な時とかにホッと感ずるものであります。あるも…

年限の理(一)

信仰と云うのは、一口に申しますと、神様を渇仰し信頼することでありますが、神様は形のないものでありますから、五官に触れて覚ることは出来ません。その分からぬ神を信仰すると云うことは、普通の考では会得出来ないことであります。ですから昔から信仰は…

信仰の向上(三)

ですからお助けをするものは、皆霊救を得ることを考へなければならないのでありますが、霊救は誰でも受けたいが仲々そうは行きません。神様は汚れた所へは行かんと仰せられますが、人間でも汚い処へ泊るのは厭であります。 清くして置けば入り易いのです。神…

信仰の向上(二)

(二) 人のことを聞いてそれを気にしているより、仲良く暮した方がいくら良いか判りません。疑いや誤解と云うこと程、怖ろしいことはありません。誤解からは色々な間違いが出来るのであります。それを取去った心が極楽であります。心の底から喜びが出来るの…

信仰の向上(一)

宗教と云うものは、形の上からどうせよかうせよと、やかましく云う様なことでは、本当のものではありません。黙っていて、それが出来て来るの本当であります。 世の中のこともそうであって、皆目に見えぬ処から出来て来ているのであります。人間もその通りで…

神一条の道 三(二)

教組は御在世中に多くの人を助けておられるが、助けられたからと云って皆ついて来たかと言へば、殆どついて来なかった者ばかりだったのであります。ついて来た人は僅か二十人位に過ぎなかったのであります。 その二十人のものが教祖の精神を受けついで、道を…

神一条の道 三(一)

教会の発達と云うことも、つまり御地場に尽した理が現れて来るのであります。又地場は教祖五十年の理の伏せ込んである所でありますから、お地場に現れて来ることは、みな神様がおさせになるのであります。 神様は「屋敷から打出す言葉は天の言葉」と仰せられ…