この顛末が県庁に上申さられたと見え、同年十一月丹波市市役所より、教祖に山村御殿へ出頭するべき旨達さられた。これは教祖が憑物か否か、その正体を調べんために社寺係が採った手段である。何故なら山村御殿皇族の尼宮が座主とならるる名刹であるから、狐狸の類ならば、直ちにその正体を現すべしと考へたからである。
教祖は五名の門弟と共に出頭せられ、持仏堂に於いて稲尾某の取り調べを受けられたが、一言半句の滞りなく答えたまい、訊問終わってから神楽勤めをせよとの注文であったから、辻氏の歌で仲田氏に勤めさられた。
同年一月十七日、奈良の中教院より取り調べの件有之即刻出頭せよとの呼び出しがあったから、仲田、辻、松尾の三氏が出頭せられた所、天理王命は無い神ぢや、信心の世話をするなら中教院の世話せよ、頻りに改宗を勧められたので、呆然として帰られた。
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