石上神宮の神宮寺である内山永久寺は総院号を金剛院といい、真言(古義宗派)にし阿弥陀如来を安置していた。そのむかし、鳥羽天皇の勅願によって創立され、時の年号によって(1113~1117年)永久寺ととなえ、内に一つの山があったので内山と号したという。
藤原後期以降多数の堂塔を擁し栄えた名刹であった。その後、延元元年(1336)に後醍醐天皇が吉野に遷幸の途次、一時この寺に立寄られた。下って文禄四年(1595)に豊臣秀吉から九七一石の寺領を与えられ、法隆寺の千石に匹敵する大寺であった。境内は五町四方の広大な地域をしめ(萱御所・後醍醐天皇仮御所)、その他の堂塔十四、内山の神社・拝殿五)坊舎五十二坊を有していたが、明治八年ごろ廃絶し、いまわずかに田園の中に当時の面影を残すに過ぎない。国家神道と天皇制を結びつけ民衆を支配しようとする明治政府は歴代天皇ゆかりの地も容赦なく破壊していった。
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