医者、薬、禁厭と、手を変え品を代えて看護の限りを尽くされたが、その効が少しも見えないので、この上は神仏の加護によるの外なしと、奈良の二月堂、春日神社、稗田の大師、武蔵野の不動明王等に跣足詣の願をかけ、氏神へは殊に丹精を擢んでて我が娘二人の壽命に代えて、預かり子の難病を救われたく、尚不足ならば、満願の後は我が身を召させたまへと、一心に祈願をなされた。
誠は天に通じ至誠は鬼神を泣かすというが、瀕死の預かり子も教祖の至誠により、翌日から熱は引き疱瘡は落痂て全快するに至った。その両親は喜びのあまり咽び泣いた。
隣家の喜び引き代え、その後中山家には不幸が続出した。天保元年教祖三十三歳の時、二女安子様が逝去さられ、翌年九月三女春子様を、天保四年四女常子様を産まれたが、天保六年常子様は三歳に夭死された。
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