飯降氏の入信は妻女の産後からであったが、全快せしにより、同年七月二十六日夫婦連れにて礼参りせらえれた。その節社を造り献納したき旨申し出られたので、秀司殿から教祖に伺うと、社はいらん、小そうても勤め場所を建てかけと仰せられた。飯降氏はその神命をお受けになった。
飯降氏が愈々、一間四方の勤め場所の建築に着手さられんとするや、一間四方はしん、接足は心次第との仰せがあった。それで信者の人々とも相談の上、各自から寄付を集めることになり、建築の場所を伺われると、教祖は米庫と綿屋を取払へと仰せになった。
かくして九月十三日手斧始め、十月二十六日棟上げ、十二月の中旬に落成した。勤め場所は平屋六間に三間半の建物で、正面の六畳は一段高く、その半分を教祖の居間に使用せられた。その半分を仕切って神床にせられた。
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