神懸りに依りて神の社と定められた教祖は、神命の指示に従い、貧困者に家財を恵みつつ、貧のどん底目懸けて、荊茨を意とせず落ち切りたもうた。
御年五十六歳の時、本家売却の節と立合い、四十三年来連添いし、夫善兵衞氏の出直しに接せられた。この時より教祖は敢然として、神一条の直路を進まれたのである。
教祖の真実に山彦の如く応じて、神一条の妙教を宣伝すべく神命の従い、嘉永六年、小寒子は十七歳の妙歳の身を以て、従者と共に大阪に赴き、辻々に立って南無天理王命と高唱せられた。
而来教祖の貧困は年と共に迫り、灯す油もつき、焚く薪も絶え、月光を頼りに落葉を焚いて、子女と寒夜を明したもうた。その苦労の中の苦労の道は、やがて末代に心の光を照すべき、神の思惑深き琢磨であった。
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