増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

天地は実親

f:id:kosetu-tenkei:20211205113746j:plain人間の親と云えば両親より無い筈であるが、然し此の両親は単に生みおろし育ててくれた親であるから、神様は仮親と云われたのであります。何故ならもし親が自分の子供を自分の力で造ったのならば、親に孝行な好い子を造るべき筈であるが、事実は中々左様は行かない。又子供が病気にでもなって死なねばならぬ時に、親が自由になるものなれば、生命を子供に与へたらよかりそうなものであるるが、それも出来ない。それならこを子を早く死なせて、泣いて居る親が、世界には沢山あるのであります。

斯様に人間の生命を、親の力で如何ともする事が出来ないとしてみれてば、親は唯衣食を与えて育てているに過ぎないのであります。すると生命を与えたものは誰であると云へば、それは神様より外に無いのでります。何故なら人間が死なねばならぬ時に、即ち人間から考えて助かりそうも無い時に、神様に願えばその生命を与えて貰えるからであります。それで人間両親の事を仮親と仰せられて、神様の事を実の神実の親と仰せられて居るのであります。これは人間一列の生命の親であると云う意味であります。

所が世の中の人は、両親のある事は知って居ますが、此の実の親の在るのを知らぬのは、捨て子か里子にやられた子の様なものであります。然し成人して生の親のあるのを知ったら、慕しく思う様に、実の親のあるのを知ったら皆楽しく思うのは当然であります。然るにそれ以上に神様は、日々身上を貸し与へ、身の内に入り込んで、御守護下されて居るのでありますから、神様の恩は大変であります。それを人間は知らぬから、神様は、小恩知ってと大恩知らぬと仰せられたのであります。

それで人間は小恩を報ずるよりも、大恩を報じて行かなければならぬのであります。基督が我は子をしてその親を逆かしめ、妻をして其の夫に逆かしめんが為に来たと云うたのは、此所の事であります。教祖はどうせこうせとは、人間可愛から云わぬと仰せられたが、雛形の道を示して居られるのであります。

それに依りますと、教祖の通られた道は、人間の道理からいえば、大変に間違って居る様に見えるのであります。然しこれが真の宗教的意味のある所で、又其の後の教祖の道筋も、常に神様に従い人には通じて居られるのであります。

故に教祖は大恩に報じられたのであって、それが為に中山家一家は、現在の如き徳を与えて貰うて居られるのでありますから、道を通る者は、此の大恩を知って、それに報じる心がなければならぬのであります。

それでは人間が大恩を受けて居る、実の親とは如何なものであるかと云えば、それは天と地であります。これは単に人間ばかりではなく、凡て生物は此の天地の間に生れて、其の間に住んで居るので、それは丁度父母の形造って居る家庭に、子供が生れて成長して行く様なものであります。そこで其の天地の和合如何に依って、生物が枯れたり栄えたりするのであって、一軒の家で云えば父母の心使い如何が、子に影響する様なものであります。そこで子供が苦しい時に、父母に頼る様に、人間も困った時や辛い時には、此の天地を頼りにして通って行かねばならんのであります。そこで此の天地は、神様の理が表はれて居るのでありますから、人間は此の天地に仕へて行かなければなりません。

 ※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!

10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本