夢と云うものは人間が見ようと云うて見られるものでもなければ、見まいと思うても見るものであります。その夢を学者は、潜在意識が寝てから働いて、意識に上って来るののであると申しまするが、然し左様だからと云うて、自分の思う通りに夢を見る訳には行きません。それで夢と云うのは、要するに自分の心の理を見せるのでありまして、神様から云へば、理を御知らせ下されて居るのであります。
然し同じ夢と云うても、直ぐ忘れるものであれば忘れられんものあります。忘れるのは理にならぬので、忘れぬのが理になるのであります。故にその夢の理を深く考へたら、そこに何か悟る事がありのであります。
私の母が一度夢を見て、神様に伺った事があります。その時神様は夢を見るもの月日誠誠見るのも月日と仰せられて、その最後に遠い所から理を知らしてあると仰せになりました。今日から考えましたら、後年母の死ぬべき理が、その時にきざして居たのでありますが、それが終に悟れなかったのか、悟れても思い切れなかったのか、兎に角それが為に早逝したのであります。
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