しからば神様は必要があり、且望んだならば下さるかというと、未だそれだけでは行かぬのであります。もし望んだことがその通りに与えられたるならば、病人は皆助けられるべき筈であります。何故なら病人が身体を健康に持つという事は、必要であり且望んでいる所であるからであります。しかる事実これだけでは、未だ神様の望むものは与えられぬのであります。
しからば欲するものを与えられるのには、それ以上にどういう事をしたらいいのであるかと申しますると、それは神様にお任せ申す事であります。これをいい換えましたならば、自分の力では到底出来ないという事を自覚する事であります。なぜなら自分の力で出来ると、僅かでも思うている間は、神様の御働きを受ける事が出来ないからであります。
これを例えて申しましたら、子供が玩具をつぶしたのを、何とかして直したいと思うてひねくっているのを、親が見ている様なものであります。早く自分の力では直らぬと悟って親に渡せば、親は直ぐに元通りにしてやる事が出来るが、親が渡せといっても子供が強情を張って渡さなかったら、親の直す事で出来ないのであります。神様と人間も丁度それと同じで、神様が助けてやろう待ち受けていて下さっても、人間が神様に任せてしまわなかったらならば神様としてもどうする事も出来ないのであります。それ故何事についても神様に任すという事が、何よりも必要な事なのであります。
かように神様に任せてしもうたならば、神様は必ずお助け下さるのであるが、その間に案じる理があったら、後に傷が残るのであります。人間の身について考えましても、身体が怪我の為に傷が出来た時、神様にお任せして直して頂く事を思わず、自分で直そうと思い、薬をつけたりこうやくを貼ったりしたならば、たとへその傷は直っても、その跡が残るのであります。故に何事に拘わらず、望む心と必要と任す心があったならば、神様は必ず何物でも与えられるので、それを神様はみなめい/\の心次第やと、仰せになったのであります。
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