増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

一つの理一(一)


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この道は天の理を取ぐ次ぐのでありますから、話を聞けば、皆さんは成程と思われるのでありすが、さて物に当り、事に触れて実行する段になると、なかなか話通りに行えなのものであります。この世には、神様がいつもお働き下れているのであります。その理が教祖の精神に宿って、この道が開かれであります。ですから天理は昔から限りなく続いていますが、おの天の理が人間の言葉に訳されて、人間に伝へれられたのは、今度が始であります。

 

英語と云うものは、昔から英国に在ったものでありますが、日本人が英語読める様になったのは、誰か始めに英国人の話すをの聞いて、それを悟った所から次第に弘まって、今では少し学問でもした人は、大抵英語が読めるようになっています。それと同じことで、天の理はこの天地が開けてから、流れる水の絶えない様に続いているのでありますが、その理を人間の言葉で伝へたものは教祖であります。

 

ですからこの道を信仰すると云うことは、天の理を信ずるのであります。又その言葉を信仰するのであります。それで、たとへ、その言葉に無理だと思うことがあっても、それを飽くまでも信じ通して行くのが信仰であります。何故ならば、その言葉を神、即ち絶対から現れた理の言語化されたのものでありますから、その言葉を信ずるのが、やがて絶対、即ち神を信仰することになるのであります。これを一言に云へば、絶対なる神に、絶対なる信仰をする云うことであります。

令和4年4月30日元の神、実の神である大龍神・くにとこたちの命様がやまとにご出現される