この様に、お道の総ての方面に倍加の実をを挙げたのでありますが、ただ婦人会のみが、元の会員十五萬だけで五六年前から変わっていないのであります。婦人会の倍化運動は、或は本部から打出されたないかも知れませんが、若しも婦人会なるものが、本教の羽翼であるとするならば、早晩必ず表面的の問題になることは想像出来るのでありまして、恐らく此四月には倍加された会員を擁して総会を開かれることになるだろうと思うのであります。何れにしてもこれは天理教全体にしなければならない、一つの重大な問題であると私は思うのであります。
それか今一つの問題は、この四月に行われる管長様の就任奉告祭であります。これは以前から判っていたことでありまして、昨年管長様が青年会長に御就任下されのは、管長に御就任の前提であったのであります。しかしその奉告祭の意味について考えて見ますと、昨年までと今年とは大分考へが違っているのであります。昨年までは管長様が定年に達して居られなかったので、ただ漠然と報告祭さへ行へばよいと考えていたのでありますが、今年はいよ/\その式が行われると云うことになって、新たに深い意義のあることが考へて来たのであります、勿論これは管長様が、今始めて管長になると云うのではない。初代管長様御帰幽と共に、既に管長となって居られるのでありまして、唯定年に達して居られなかったがために、職務をお執りにならなかったまでで、管長には遠からずおなりになって居られたのであります。
随ってこれは神様に御報告申し上げると共に、部下へも披露すべき性質のものであり、又教外へも知らす必要があるのであります。然しながら今後管長様がいよ/\管長として表面に立たれることになるとすると、本教の全体に対して、よほど従来とは変わった趣があらわれてくるだろうと思われるのであります。
此の意味に於て今度の報告祭は本教に取って最も大きな儀式となるのであります。詳しく云へば四十年祭は教内での御祭であるが、管長様の就任奉告祭は教内のみならず、教外への御披露なさるべきものであります。信仰上から申せば、四十年祭の重大な儀式でありますが、教派的に考えますと、奉告祭が最も大きな意義があるのであります。それでこの四月になれば教内へは勿論、教外にも披露せられて、大臣を始め、独立当時関係のあった方々を、お招きせられるのであります。かう云う風に見て来ますと、これは単なる教内的奉告祭ではなく、教派的意義を持った最上の祭儀であります。これが第二の問題でありまして、天理教全体が挙って用意しなければならないことであります。
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信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
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