増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧

むつかしい道 

神様の道は仮名に仮名を付けた様な、やわらかやさしい道であると聞かして貰うて居るのと、難しい道とは大変な相違の様に思われるのでありますが、これは二つの事を一つにして考えるから、違って来るのであります。何故と申しましたら、神様の御説き下される…

人類の親

ご教祖の最初の思召から伺うと、御在世中、に甘露台を建てて、その台によって世界一列を澄す思召しであったのでありまります。然るに後に模様がかわって、世界を澄してから、甘露台を建設せられる事になりました。 そこでじきもつというのは、如何いうもので…

神の仕事

神様は親が我が子を思うのと同じで、助けたい一条の御心で居られるのでありますから、人間に難儀や苦労をかけたいと云うお心、少しもないのであります。 然るに、人間の世に苦しみが耐えないと云うのは、神様の思召に適う心使いをせぬ所から、我がと我が身に…

病気は手入

同じく此の道を信仰する者でも、其の心に立ち入って見たらば、千差万別であります。其の表麺は真実らしく見えても、心の汚ない者もあれば、心は真実でも、表は無骨な者あります。従って心を見通しなる神様から見られたらば、色々違って見えるから、手入する…

神人の和合

神様が人間をお造りになったのは、云う迄もなく人間が陽気に暮らすのを見て神も共に楽しみたいと云うお心からであります。故に人間が心を陽気に持って暮らのすのが、何より神様の御心に適うのであります。所が人間は日々陽気の頃で暮らす事が出来ない。見て…

悟得と神意

胸が分かると云う事は、大体に於て二つに分けて考える事が出来るのであります。其の一つは神様の胸と云うのであって即ち道を聞き分けて来たならば、次第に神様の思召が会得せられると見るのであります。今一つは、胸を各自の胸と見るのでありまして、自分の…

真実と守護

神様が在るとか無いとか思う人がありますが、これは要するに真実が無いからであります。神様の御言葉に、無いと云へば無い、在ると云へば在る、願う誠の心より見えて来る利益が神の姿やと仰せられたことがあります。 即ち神そのものは無形のものでありますか…