増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

地場への心(四)


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兎に角山名としては、現在はその働きの旬に直面している訳なのであります。でありますから皆様にその覚悟になって働いて頂かねばならぬのであります。お道の大勢から考えて見ますと、四十年祭の声がかゝってから、四ヶ年の間には、中途で中だるみが出て来てはせぬかと思っていましたが、幸いに中だるみもなく、道は日に日に盛大となって来ているのであります。又世界の不景気につれて、お道も行詰る様なことがないだろうかと思って、殊に最後の年である十四年の年を、余程注意せねばならぬと思っていましたが、今年になってからの様子を見ますと、中だるみどころか、却ってきょう猛烈な勢が出て来ている様であります。現にこの二月に入学する教校生について見ましても、その数は今日まで未だかって例のない多数でありまして、大いに意を強くしている訳でありますが、こんなぐ工合で最近の各教会としては、行詰っている様な趣もないではありませんが、教校の成績から見ると、正にその勢は白熱化していると云ってよいのであります。

それで当教会でも、大きな確かりした精神をもって、立ち後れをしない様に大いに踏張って貰はねばならぬのであります。

 凡そ物と云うものは、その時に順応して行かないと、非常に苦しい思いをせなければならぬのであります。それが総て、最後には大きな不利を招致する様な破目に陥るのでありますから、教会にしても、順調にどん/\進んで行く時には、益々心勇んで通らせて頂けるものですが、これと反対に、逆境に立った場合には、苦しみは加わる、不足は出る、と云った風に、いよ/\通りにくいものになってしまうのであります。ものが順調に進むと進まないとは、その間に、精神の上からも物質の上からも、非常な相違が生じて来るのであります。その一つは風に立ち向かって進むのであり、その一つは風を背に受けて進んで行くのであります。この点から云って、大勢に乗ずると云うことが、ものを進めて行く道であります。

高井直吉翁が息のさづけを頂く前夜に見た大竜の夢を孫虎夫が描いた絵

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(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)

信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

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地場への心(三)


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又ある時、ある先生の息子が勉強をしたいと云ってお願いをしたことがあります。所がその時神様は「勉強することは許してやるが、三年分の勉強を一年でして来い。」と仰せになったと云うこともあります。その人人の精神次第で、一年間に三年分の仕事も、やれば出来ないことはないのであります。

こう云う点から見れば、四十年祭までには、なほ一ヶ年の月日がありますから、この間に本当に精神を定めて働かさせていただいとならば、必ず今までの後れを取戻すことが出来るのであります。だが、この時期においても、尚皆様の精神がそこに定まらないと云うならば、それは最早致し方のないことであります。

こゝに一年と云う月日がある以上、心次第でどんな大きな働きでも出来るのであります。他の教会では四十年祭が提唱されると同時に、専心働いて、只今では実際精神的にも、又形の上にも、共に行詰っている様に見えるのであります。この点から見れば、此の教会はまだ/\精神的にも余裕がある様に見受けられるのであります。まだすっかり行き切った精神に立ち至っていない、若しこゝに、そうした余裕を持っていながら、なほかつ精神を定めることが出来ないと云うならばら、それは皆様が間違っているのであります。

 

この大正拾四年と云う年は、個人から申しますと、もはや四十年祭に対する準備はしてしまって、今後の一ヶ年間は内部充実を為すべき年でなくてはならないのであります。真実助け一条の精神から働いて、麗しい心になって、来春を迎える心構へをすべき年なのであります。所がよくうかがって見ますと昨年以来更にそうした様子が見えない様に思われるのであります。いづれ大教会を中心として種々の仕事は、会長と協議の上、働いて下さっていることと思いますが、一般的に見ますと四十年祭を迎へるに当って、海外布教は重要なものとされているのであります。この海外布教と云うことを部内一般から考へて来ますと、これに一番早く着目さられたのは、当教会の、前々会長であります。明治廿九に台湾布教を始められたのが嚆矢でありました。しかしその先見に対して、当時その実績が伴はなかった憾はありましが、今度の本部の海外布教の企てに対して、この因縁の深い山名が、如何なる道を辿り、如何なるなる働きをすべきであるかと云うことは、よく皆さんの深慮を煩わさねばならぬことであります。

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地場への心(二)


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 教祖四十年祭が提唱されて以来、倍加運動が叫ばれ、全天理教はこの本部の声に対して、渾身の努力をして来ましたので、今や凡そ倍加に近くなっているのであります。しかるに山名はこの運動に遥かに後れてはないだろかと思ふのであります。名京分離の節があったことは十分お察ししますが、更に進めて考へますならば、地場の精神を立て直すと云う所に、本当の精神を置いていなかったのではなからろうかと思うのであります。

単に一教会の分離についてのみ心を煩はし、又重きを置いて来たために、数と云う点から見ても、実際に道がおくれ来たのであります。大教会長は、立ちおくれをしたと申されましたが、私は寧ろその根本の精神に立ち至っていなかった所があった様に思ふのであります。

 今日まで、形の上に於て後れたことは、皆様に御承知の筈でりますから、何とかしてこれを取り戻したいと思って居られるに相違ないと思ひます。それについて、これは教祖御在世中のお話でりますが、ある先生が種々考へた末にその人に沢山の子供があった所から、子供が大勢でとても食って通れないと云うので、道一筋になったのでありますが、どうしても生計が立たんので、半月は道で働き、半月は商売をすると云う決心を定めて、御地場へ帰って来たのであります。

その頃、教祖は御在世中でありましたが、御本席に神憑りがあった時なので、御本席に御伺いを申し上げた所、神様はその時「後れた/\後れたわい」と仰せられたのであります。その人はこの言葉聞いてハッと気がついて、心から神様に懴悔をしたのであります。すると神様は「後れのは早いや/\と仰せられたことがあります。後れたと云うのは、更に大きいものを造り出す土台でります。後れた云うことを、本当に心から悟った時、それがより大きなもんを造り出す原因となるのであります。

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地場への心(一)


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昨年の確か一月であったと思ひますが、女学校の寄宿舎で、こちらの教会長なり信徒方のお集りの所で、一度お話し申し上げたことがあります。その時の話はよく記憶していませんが、大体こんなことを、申し上げたと思ひます。

尚教会に対する久しい問題も解決して、その後強勢がどうなって行くかと云うことに注目をしていたが、その後の結果から見て、お道はどうしても、本部を中心として働かねばならない、本部中心、地場中心でなければならないと云ふことを、お話しした様に思ひます。

 その後、今日で約一ヶ年を経過しているのであります。その間に当大教会としては、唯詰所に移転をしたことが、最も大きな仕事であります。道は必ずしも形の上のことを尊重するのではありませんが、しかし精神のある所心のある所には、必ず何物かが表はれて来なくてはならぬのであります。ただ単に思ひますが、それが真底からの働きであったならば、そこには実際にものが表れて来なければならぬのです。従って現れた実際について判断するより外ないのであります。この意味から云って、詰所の移転は大きな仕事であります。しかしよく考えて見ると、名京の分離と云うことがあったので止むを得なかったことでありませうが、山名としては一般に道が進んでいない様であります。

 一体信仰を持ったものは、逆境にある時ほど、信仰が向上するものであります。幸福にある時よりも、不幸の立場にある時の方を、より感謝せなければならぬのであります。幸福を幸福として、喜んで行くことは、何人にも出来ることでありますが、逆境や不幸に立った場合は、それを喜んで行くと云ふところに、始めて信仰を持ったものの意義があるのであります。病に苦しむと云うこうことも、道以外の者は誰でもそうは思いませんが、それを喜ぶと云う逆境に至って、始めてお道と云へるのであります。

 でありますから山名としては、初代会長の出直しに引続いて、名京の分離があったのでありますが、これは即ち逆境に立ったのであります。しかしそれによって道が進んで行かなければならないのに、現在では却ってそうでない傾があるのは何故でありませうか。私の考へでは、餘り教会中心に考へ過ぎて、根本の信念を誤っていたからではなかったかと思うのであります。

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震災地より帰りて(六)


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今の所では教会の方は大体判っていますが、信徒さんの方はまだ判っていないので、今尚調査していますから、何れ詳しいことの報告が、近い中に来るとと思います。兎に角、数多い事でありますから、どんな人があるかも知れませんが、お道の人は割合助かっていると云うことは事実であります。

 皆さんも、東京横浜方面から来ておられる方々であるが、家族或は親戚のことを、非常に心配して居られることだろうと思うが、今皆さんが上京されれても、尋ねる人が何処にどうしているか判らない。それよりも、この地場で、ヂッと待って居られたら、もう交通も回復し、電報も通ずる様になったのでありるから、きっと便りがあるに違いありません。

 本部の方でも、この災害に対して、十分救済の方法を講ぜられ、その方針については、昨日から今日にかけて協議をさられている事だし、無論世界からも出来るだけの救済をされるだろうが、お道からも全天理教を挙げて、援助をするとことになっています。それで明後日は各直属教会長を呼んで話をされてることになって居りますから、何れ近い中に、教会のかとのなり、家族のことについては、十分救済の道を講ぜられる相違ありませんから、安心せられたいと思うのであります。

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震災地より帰りて(五)


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それから私は行かなかったけれども、小田原の方から来たものの話によると横浜よりも一層地震が強かったと云います。こちらの方では横に揺れたのであるが、その地方では四尺からの上下動で、上に飛び上がったかと思うと落ちてつぶれ、すぐ火事が起こったと云うことであります。又真鶴と云う所などは一村が何処かへ行ったしまったと云うことです。これは津波に拐はれたものか、或は地の中へ陥没したものであるか、兎に角無くなったそうであります。この外にも色々見たり、聞いたりしたことがありますが、話せば肌に粟を生じる様なことばかりであります。一例を申し上げますと、私は実地に見たのではありませんが、お産をして半分生れかけた妻の上を、夫がそれをかばうて死んでいるのたあったそうです。お道の中にも、お助けに行って、お話を取次いでいると地震で家が倒れ、天井をその人が捧げて一家の人を救い、自分はそのまゝ死んでしまったと云う人があります。

P89  

しかし幸いにお道は人には一命を捨てた人は少ない様であります。私が知っている中で所長会長で死んだ人は三名で、教会全焼、倒壊は二百五十程あります。殊に本所深川には教会が非常に沢山あって、布教者も何百人入り込んでいるから判らない。けれども大部分は助かっています。横浜の方も大概は助かっているらしいのであります。あの吉原で何百人と云う人が死んでいますが、その内で二人だけ助かったのでありますが、その内一人はお道の人であったのであります。又被服しつ跡の三万二千の死人の中で、江戸宣教所の横田さんが助かっています。

 

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 震災地より帰りて(四)


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全く焦土と化した東京の廃墟に、親や子供を尋ね廻っている罹災民を見たり焦げただれた死体を見ると、実際酸鼻の極と云いませうか、地獄以上の有様であります。

その翌日は、用事もあり疲労も激しかったので支庁に居り、翌々日即ち八日に横浜へ出掛けました。幸いその時は東京横浜間の汽車が開通していたので、無蓋列車に乗っていきました。それも命がけで乗ったのであります。なんでそんなに込んだかと云へば、三日前までは全く汽車が不通で、他の交通機関も全部破壊されて居ましたから、横浜の被害がどれだけか、さっぱり分からなかったのであります。そのためにそれを見舞に行く人々が、一時の集まって来たから堪らないのです。

 やっとのことで横浜へ行くと、横浜は見るも無残にすっかり焼けていて、あちらこちらの山の裾に、ちょっぴり家が残っているばかりでありました。まだ東京の方は半分だけ助かっているが、横浜の方は、全部と云へば、全部焼けてしまっているのである。その様な様子で何分交通が不便なため、取り片付けの方もまだ手がつけてなく、漸く電車通りが少し片付いていた位でありました。私が行く二三日前に軍艦が来たそうですが、海岸の近くにある石油倉庫が焼けて、石油が海の上一ぱいに拡がり、それに火がついて、港全体が火の海と化して終ったために、小舟が焼けて寄り付くことが出来なかったそうであります。今日の新聞を見ると、そこからの海から取れた魚が、石油で油臭くなっていると云うことであります。幸い横浜のは庫に米があったので良かったが、水とか他の食料がなかった為に困ったと云うことです。又辛うじて倒壊を逃れたものでも、半壊にはなって居るような状態でありましたが、東京の方は地震より火災がひどかった様ですが、横浜の方は地震と火災と両方ともひどく、道が割れて居た所が多かった。私は見なかったが、その割れた所に挟まっって、死んだ人が沢山あったと云うことであります。

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震災地より帰りて(三)


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一方罹災者が食物を請う様は、目も当てられない悲惨なものでありました。殊に平常から貧困なものは、そうでもありませんが、相当な家のお嬢さんや、奥さん等は、飢えのために側まで寄って来るが、恥しがって手を出さない。手を出さなければ食物を得ることが出来ないという有様で、誠に気の毒でありました。こうして罹災民に握り飯を与へながら、上野の前まで来ると、見える限りは広い焼け野原であって、所々焼け残った洋館や、煉瓦が崩れ落ちて全く凄惨気持ちに打たれました。

帰りには、上野停車場前から浅草の方へ廻ると、大師めぐりの人々の様に、親は子を探し、子は親を索ね、夫は妻は求めて迷う人々が、ぞろ/\と列をなしています。私等の通った時は、そこらの道は綺麗に片付けられていましたが家の壊れた跡から悪臭が鼻をついて襲って来ます。それもその筈であります。家が倒れてから六日も経っているのだから、家の下敷きになった人はもう腐って居るのでります。実際今度の大震災は、新聞や筆紙では到底書き尽くすことは出来ません。

 それから浅草の方へ行く川岸には、死体がごろ/\と浮いていて、身体中手足までぶく/\と非常に太く腫れて居る。その上顔が焦げていて、丁度古い仁王さんの様になっているのでした。橋を渡って本所深川の方へ行くと、一所で三万何千から人が焼け死んだ所だと云う。一口に三万と云ってしあへば何でもないが、事実目の前に三万からの死体を見たならば、私は一生思い出して、気持ちが悪いと思ったから、途中で引返してしまいました。

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信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

★天の理

★大平良平資料集

★貸物、借り物の話

神の古記

★中山みき神言集

★神・中山みき伝

★中山みき在世時代の病諭し

★このやしきもとのかみ/\でてるから
 にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは

教主政従の時代 大平 隆平

お金と信仰について  百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)

からとにほん

天理教祖の抱ける世界統一の大理想 大平良平

天理教と現在主義 大平良平

☆やまと探訪☆ 

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☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈

春日大社と月日信仰 春日信仰とは月日親神信仰である。

10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本

※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!

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震災地より帰りて(二)


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それから高崎辺まで行くと、もうそこでは流言飛言が盛んに言いふらされて地方長官の証明なければ入京出来ないかと、軍隊が守っているから決して普通では入れないと云う様なことが云はれていました。そこで私は、前橋で一先づ下車して、県庁の証明書を貰って入京しよと思いましたが、どうしても許して呉れない。又東京教務支庁は無事で、千人餘りの避難民を収容して居て、前橋から米を自動車に二台送ったとのことであるが、始め一千人から人を収容した時は、東京教務支庁には米二俵しかなかったと聞いたので、私等はそこで、味噌、さつま芋、米等を買入れて自動車に乗せ、自分等も乗りこんで入京しよと思ったのですが、その時既に県庁では自動車を徴発していたので、一台の自動車もなく、再三県庁へ交渉してみたが、どうしてもいけない。仕方がないので五日の午後前橋を立つことにしました。普通なれば、前橋から日暮里まで三時間で行ける所を、十五時間もかゝって、一寸した駅でも大方一時間づつ停車しながら、やっと六日の朝八時日暮里に着いたのであります。所が東京は割合に警戒が厳重でなく、又東京の支庁から迎えに来て下されていたので、たやすく入ることが出来ました。

私等は三日にお墓地を立って、六日の九時頃に漸く東京の支庁に着いたのでありますが、私はすぐに松村先生に会って本部の命を報告したのであります。先生は、食糧を上野の罹災民に与えるため自動車を出すから、一緒に行ったらよかろうと云われたので、その積りで待って居た所が自動車が徴発されて行く事が出来ない。やっと自動車を見付けても、自動車を動かすガソリンがない。たま/\あったとしても普段三円位で買えるガソリンが、五十円と云う高値になり、二時間も走らせれば八十円もかゝると云うので、中々思う様に手に入れることが出来ない。仕方がないので、田舎から来た荷馬車を雇って、それに握り飯を積んで行くことにしたのであります。

上野まで行くと、そこからあたりトタン屋根の見苦しい小屋が、あちらこちらに沢山建ててあり、その小屋から疲れ切った様な人々が、車の周囲に群がって来ます。所が東京市から出ている飯は、玄米で作ってあり、支庁の方から持って行った握り飯は白米であったので、罹災者は非常に喜んで呉れたのであります。その中にあんまり綺麗な握り飯を配ったものであるから、警察へ届けた者があったので、警察から調べに来たが、私等は天理教の東京教務支庁から救済に来たものであると云ったので、事もなく済みました。

高井直吉翁が息のさづけを頂く前夜に見た大竜の夢を孫虎夫が描いた絵

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★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
十柱の神の守護の理と八つのほこり

門外不出資料】

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震災地より帰りて(一)


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本月の三日に本部から、東京の震災地へ出張を命ぜられまして、漸く一昨夜帰って来たのであります。

 皆さんは、東京横浜方面から、この学校へ入学するためにお帰りなった方々でありますが、今度の震災で、さぞ家のことが心にかゝって居られることと思います。それで私は、極く大略でありますが、私の見て来た所をお話しようと思うのであります。

 私等は三日の朝に御地場を立ったのでありますが、道で用事を済まして行ったので、大阪発十二時半の記者に漸く間に合う位の時間になりました。所が行って見ると、大阪駅内は上京する人で一ぱいに埋って、仲々まともに乗れないので、無理やりに乗り込んだのです。私等の箱は二等車でありまいしたが、漸く体を入れる位のが関の山で、座ることは愚か、身動きも出来ないような有様でありました。

名古屋へ着いたのは夕方で、それから中央線へ乗り替へようとしたのですが、それよりも矢張り乗客が一ぱいで、乗り切れません。それで次の汽車を待つことにしましたが、それも亦満員で仕方がないので、中山様と私と本部の青年の方とは別々に分かれて乗ることにしました。夜遅くやっと名古屋を立って篠井に行きましたが、のその汽車は篠井が長野で乗り換へねばならないので、私は長野まで乗り越したのであります。けれども長野も亦人が一ぱいで、まともに乗れないと思ったから、汽車の窓から飛び込みました。この頃の汽車は窓から乗るのが普通の様に思われていました。そして先に乗り込んで座っていると、窓の外から又他の人が足を突きこんで、背中のところへずる/\すべり込んで来るので、止むなく立つことになる様な次第であります。

高井直吉翁が息のさづけを頂く前夜に見た大竜の夢を孫虎夫が描いた絵



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地場を辞する人々へ(五)


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「用木に神が入り込む」と神様は仰せられています。心に神が入り込んで働いて下さるのでありますから、人間思案の及ばぬことが見えて来るのは、何も不思議ではないのであります。所で、神様に入り込んで働いて貰はうとすには、此方の心を綺麗に掃除して置かなくてはなりません。

 一度行って綺麗な家であれば、もう一度行こうかと云う気ににもなりますが、それと同じで、こちらの心が綺麗にさへなっておれば、神様は何時でも入り込んで働きをして下さるのであります。そうなれば世界の人は、何ぼでも従いてくるのであります。それでありますから「あの人の所へ行けば、何でも助けて下さる、不思議だ」と云う風に、世間の人が観て呉れる様にならなければ本物ではありません。人間思案から出た善いことを教える位の考では到底お助けは出来るものではありせん。

善いことを云ったり、賢いこをと考えたするのならば、坊さんの方がお道の布教師より余程偉いと云はなければなりません。しかし神様が入り込んで、不思議な助けをしたり、総てのことを真実から行うてかゝると云うことになりますと、世界の人では出来ないのであります。これはお道の人だけが恵まれた特権でありまして、そこが大へん変っている所なのであります。行うた上から澄ました所に、神様が入り込んでお働き下さるので、教えを広めに行く以上は、私たちはお互いに神様の御名代だと云う覚悟がなければなりません。で神様も「まさかの時には月日の代理とも云うたる」仰せられております。取次人、代理人として、本当に神様の御心にある所を真面目に教えてさへ行けば、神様もそれを見ていて下さるから「あの者にところへ連れて行けば、神の心を取次いでくれるから」と云うので、神様も信用して、幾らでも新しい人を連れて来て下さるに違いないのであります。ですから布教に出て行けば、最初神様がお与え下さった病人を大切にして、それを助けて貰はねばならぬのであります。最初与へられた病を助けられない様では、神様の御試練に負けてしまっているのであるから、どうせ碌なことはないのであります。

これを要するに、皆さんはお互いに、神様の代理人として立って居るのであると云う固い信念と、全世界は自分の子供だと云う広い大きな自覚を以て、進んで行って下るならば、今まで私が色々にお話したことは、皆生きて来るに違いないのであります。

 ですからこの強い自覚を持って、四十年から五十年様へかけて、懸命の活動に従事されんことを切に望む次第であります。

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地場を辞する人々へ(四)


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所で、学校を卒業せられたら、夫々国所へ出て布教をして貰はねばならないのでありますが、今までやって来た様な布教の仕方をして居って貰っては困ります。何故ならば、神様は「三年経てば遠慮気兼は要らぬ」と仰せられています。これまでは、お道の人は、世界の人に対して遠慮をして来たのです。又気兼をして通ったのであります。けれども今日の時代になっては、遠慮も気兼ね要らないのであります。世界の人々に向って云いたいことを云へばよいので、何も恐れる必要がない様になって来たのであります。

人間の心を広く持って行くことはよいことですが、何もヘイ/\ハイ/\と矢鱈に頭を下げて通らねばならぬことはないのであります。今日では教祖が亡くなられてから三十幾年になるのですから、もう何も遠慮することはありません。理の上から考えて見ても、又それが当然であります。皆様が御授けを頂かれた時、仮席で先生から「神様のお話を取次しても貰う時には上座に座って話すか、若し上座に直れぬ時は対座をして取次ぐ様に」と云うことを聞かされておられる筈であります。人間の話をするのであれば下から話してもよいが、人間の親である神様の御名代として、立たして貰うのであるから、必ず上座に直ってやらなければなりません。水が下から上へ流る時が来たら、下座から話をしてもよいが、神様の代理をしているのであるから、何も遠慮することはないのです。こちらから聞いて来れと頼みにでる様ではなりません。「この道は頼み歩く道やない」とも仰せられているのであります。

 こう云へばそんなことを云うていては信徒が出来ないと云うかも知れないが、来て呉れなければ来て呉れるまで待って居ればよいのである。それ位の辛抱が出来ぬようでは、布教などに出ない方がよろしい、神様も「来んものに来いとは云わん、来るものにいねと云わん」と仰せられています。来いと云はなくとも来たいものは従いて来るものです。それに、彼方へ頼み彼方へ頼んで、話を聞いて貰へませんか云いますが、そんなにしなくとも、人と云うものは従いて来るものであります。

冬の寒い時に、野原で真中へ集まって来いと云っても誰も来ないが、部屋に火鉢を置いて、暖かくして置けば何も云わなくともひとりでに寄って来るものであります。またそれが天理であります。それで集まって来ないなら嘘であります。理が添いさへすれば、そこに人々の集まって来るのは当然であります。

 大体、人間と人間の間には、決して変った所はないのでありあります。それは人間には多少美醜賢愚の差はありますが、同じ人間でありあすから、心はそう大した変わりはありません。だから、人が人に教えを説くことになれば、別に珍しい変わったことはありません。がそこに神様が添って下さるから、不思議なこととが見えて来るのであります。どんな珍しいことでも現して下さるので、それさへあれば自然に人が集まって来るのでありますから、遠慮したり、頼み歩いたりせずに、堂々とした態度で教えを流して行かなければならぬのであります。

 

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地場を辞する人々へ(三)

 



この希望の光りある中に、皆様が世上のことを止めて、教校へ這入って来られたと云うことには、大へん大きな意義があります。皆様には、皆様個人としての意義があるのであります。同時に神様としても、又大きな思召があるだろうと思います。

一体この御地場と云うところは、来たいと思っても来られるものではなく、又来たくないと云っても神様に連れて来られたら、嫌と云う訳には行きません。この御地場に来ると云うことは、神様が引出すと仰ったのであります。なんぼ行きたくないと頭を振っても、神様から見込まれた以上は、どうしても出て来なくてはなりません。

兎に角、神様のお思召についたものは、嫌でも応でも連れて来られるのでありますから、皆様がこゝへ出て来られと云うのも、神様に引き出されて来たのであって、それを自分で来た様に思っているだけ、神意が分らぬのであります。それでは神様の如何なるお思召で、引き寄せ居られるのであるかと云へば、この道が広まって行くに連れて、それだけ余計に道具が入用になって来るからであります。

又大きい仕事を仕ようとすれば、矢張それだけ大きな道具も要れば、人の数も沢山要る訳であります。ですからこゝに居る間に御仕込みを受けるのでありますが、神様の思召に添わない人は、こゝに居る間にも、命を果して行くのでありまして、同じ様に育てられても、どんなものになるかは判らないので、神様の御心に叶わぬものはどん/\淘汰されてしまうのであります。そして残った方は、国々に帰って、神様の道具として、又足場となって、ウンと働いて貰はねばならぬのであります。

 

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地場を辞する人々へ(二)


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四十年祭までは、前にも述べた様に兎に角恐ろしい勢で進展して来ることでしょうか、そうなると四十年祭後の天理教は如何なるかと云うのに、私はそれは余程大きな節になろうと思うのであります。何故ならば四十年祭に続いて、五十年祭が来るからであります。五十年祭と云へば、御教祖御帰幽御の五十年目であると共に、天理教立教の百年に当っているのであるから、その祭典の盛大なことは云うまでもありませんが、現在本部でしておられることは、要するに五十年祭に対する準備であります。

これまでは天理教の歴史から云へば、十年目毎に何か節が現れて来ているのであります。この来るべき四十年祭にも、何か節があるであろうと思っています。峠を越せばやれ/\い云って、一ぷくするように、今度の四十年祭が済めば、皆がやれ/\一安心と云うので、一ぷくするであろうと思います。しかしまた直ぐ持ち出されるのは、五十年祭と云う大きな問題でありますから、その一ぷくも一年か一年半位にして、又活動を始めるだろう思います。そうなれば、私等お互いは息をつぐ暇もないと覚悟せなければなりません。そうして天理教全体がまた大活躍を開始したならば、そこには、予想しないことが出来上がって来るかも知れないのであります。想像以上に目覚ましいものになるのに違いありません。こう考へて見ると、天理教の将来は益々希望に輝いた幸多いものであると云はねばなりません。

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地場を辞する人々へ (一)


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今日は皆様が何故教校へ入学して来られたか、そうして今後如何にして通って行けばよいか、と云うことをお話する積りでありますが、この話が本当に判りさへすれば、これまでお話したことが、皆様の胸に蘇って来る時期があるだろうと思います。

話を進めて行くに先立って、現在のお道の有様はどうであるかと云うことから、お話して行くことにします。併しこの現在のお道の有様と云うものは、皆様が半年もこの御地場に居らたことでありますから、大体は判って居られることだろうと思います。だから極く大体を申しますと、この頃のお道は非常に活気が表れ、人々の精神が大変緊張しているのであります。今から四五年前のそれと比べると、正に隔世の感があります。

勿論これは大正十一年の春に、来る十五年の一月に 教祖四十年祭を執行すると云う旨を本部から提示さられまして、この実行方法として、誰が云うともなく、倍加運動の型を取とる様になって来てからだろうと思います。所がこの倍加運動の型をとる様になって来たからだろうと思います。所がこ倍加運動も、凡て数字の上に現れた天理教の教勢を倍にすると云う大きな運動でありますが、今年の中にはそれが出来上がりそうになって来たのであります。しかし宗教と云うももの本当の発達から申せば、倍加位のことではいけないんのであります。鼠算と云うことをよく云いますが、それでなければならないのであります。鼠と云う奴は、一ぺんに七匹も八匹も子供を産みます。その子供が又七八人匹の子供を生みます。この様にお道全体のものが、少なくとも一年に七八人新しい信徒を作る云う様にして、発達して行かなければいけないのであります。それから見れば倍加などど云うことは、まだ/\鈍い動きであります。しかし教祖四十年祭と云うことが云い出されてから、僅か二年半の間に、こゝまでの成長をして来たと云うことは、非常に発展と云ってもよいのであります。この調子で進んで行けば、四十年祭までには、もっと大きなものが出来て来ようと思います。これを実際の上から云っても、この教校などの最初私が来た当時には、生徒が二百八十名程しか居なかったのです。それが次には五百になり、八百になり、千になり、二千になりまして、到頭三千と云う数までに、異常な勢いで増して来たのであります。今日でこそ学校も大きくなって来ていますが、こゝでになるには随分種々のことがあったのであります。生徒が殖えるから教室を建てて下さる様にお願いする度に、そんな大きなものを建てて、後で空家になっては仕様がないのではないかと、必ず一度は叱られたのでありますが、段々大きくなって、今日の様になって来たのであります。けれども私が理想通りの教育をいしようとすれば、この位の大きさの学校が、もう二つ三つなければならぬのであります。しかし思う通りにならないので、こんな具合に寿司詰めの様に狭い所へ這入って貰っているのであります。一組に五十人位の生徒を容れて教へるのならば、丁度芋の皮を一つ一つむく様に、綺麗にして行くことが出来るのですが、今日ではとてもそう云う訳には行きませんから、一つの桶に入れた芋を洗う様な工合に、同化してゆくより外にないのです。それでもこちらが搔きまはして居れば、皆が勉強をして下さるので、お互い同志の間で、自然に皮がむけてしまうのです。そうした乱暴な方法を採っているのでありますが、次の期には四千名の生徒が来ると云うことになっています。そうなれば学校は一杯になって、とても容れ切れないのであります。けれども容れ切れないからと云っても、今は教室を建てる場所がありません。また時日もないので、都合に依れば夜昼にでもやろうかと思っています。そうすば神様も喜んで下るだだろう思います。

この調子で進んで行けば、この先本校はどうなるか分からないのであります。或は五十年祭には、三四萬の生徒が来るかも知れません。斯う云うと、皆さんは笑うかも知れないが、私が来た時には僅か三百足らずの生徒だったが、今日では三千人にもなっています。その当時には、三年後にならば三千からの生徒が来ようとは、誰も想像していなかったのであります。だから三四萬は来ないとも限らないのでありまして、この調子で伸びて五十年祭にもなれば、大した数の生徒が来ることだろうと思います。しかしこれは将来のことであって、現在三千の生徒が居ると云っても、これを日本全国に撒いたならば極く少ないものです。一教会に分けて見れば、一人に足らないことになります。少なくとも一教会に三人や四人に教師がないことには、本当の活動が出来ないのですからそうなれば、三萬や四萬来る位のことは何でもないのであります。従って、私の三萬入学説は事実となるかも知れません。一つの教会で、一年かゝって一人や二人位の信徒が出来ない様なことでは、なんとも仕様がないのであります。

 

 

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十柱の神の守護の理と八つのほこり

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中山みき高弟子の十二下りのみぐら歌の解き分け

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  ★大正時代の別席講話 

(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)

信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

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★貸物、借り物の話

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