増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

2021-01-01から1年間の記事一覧

女松と男松

女松と男松 女松男松と教祖がいわれたのは、女性男性を意味して居られるので、本教に於ては普通男女の区別がないとせられて居るのであります。然しこれは決し男性女性そのものの、区別がないというのうではありません。神様が人間を対せられたる時、そこに区…

高山と谷底

高山に水がついて、谷底が無事であるという事は、自然の状態からいへば、到底考え及ぶ事ではありませんが、けれどもこの高山なり谷底なりを、人生の或比譬であると見るならば、こうした事はあり得るのであります。例へばこの水を人生の於ける或思潮と見るな…

神は支配者

この世界が神様の御支配に依って出来て居るという事は、今更改めていう迄もない事であります。然し人間の世界は、この神様の御力ではなく、人間の力に依って支配されて行くものだと、思うて居る人が沢山あるのであります。現に学者は、自然を人間が征服して…

親の心

人間が神様の御心を直ちに知らして頂くという事は出来ないのでありますから、神様は神の心は丁度親が我が子を思う時の心が、神その儘の心なのであります。所が人間というものは、我が身我が勝手の事ばかり考えて居りますから、親の心を知る事が出来ません。…

出産の理

世界では子供の事を神様よりの授かりものという通り、如何に人間が欲しいと思うても、子の産まれない人もあれば、有り過ぎてを困る程生まれる人もあります。斯様に子供が人間の力で如何ともする事が出来ないというのは、即ち神様の御守護を頂かねばならぬ事…

天災と神意

教祖は神様という事を説明するのに、人に応じてする種々に仰せられて居るのであります。御筆先を通読致しましても始めの方では神と仰せられ、神の思惑とか神の支配とかいうて居られますが、中程から月日というて、月日立腹とか月日残念とか仰せられ、最後に…

澄心の理

神様が人間を始めて御造りになった時は、この世は泥海であった。所が人間が三尺迄成人した時に、天地が分かれたのであります。それから次第に成長して知恵の仕込みも受け、学問の仕込みも受けて来たのであります。所が学問の仕込みには三千年と仰せになりま…

根を掘れ(二)

是は一例に過ぎませんが、世の中にこうした事は沢山あるのであります。 これ要するに自分の根というものに気付かずに、徒らに枝葉末端の事のみに、心を注いで居るからであります。 そこで神様は心静めて根を掘れ、そして根が如何なって居るかという事を、何…

根を掘れ(一)

一本の樹木に致しましても、人間の眼に見える所は僅かに幹から上で、その根は地下に埋もれて居て、見えないものであります。然し木の養分の大部分は、この根から吸収せられて、その枝葉が繁茂して行くのでありますから、草木に取っては、根は何より大切もの…

術と真実

術や法というのは、仙人や山伏の行うものであって、例へば火遁樹の術とか、真言秘密の法などというのでありますが、この道の出来る迄は、この法の随分行われたのであります。 所がこの御道が現れる頃になって、次第にその術や法が行われぬ様になり、今日では…

一家の人々

人間の心というものは、一名限りのもので、皆違うのであります。生れ変って来た道筋の違うだけ、その心の違うのは当然であります。従って親子であっても、兄弟でも夫婦でも、皆違うのであります。されば一軒の家にも美しい心を持った人もあれば、またその反…

牛馬の道(三)

こう聞かして貰って考えて見ますと、来世などは無いと云うて居る訳には行きません、例へ口で云うて居ても、事実が左様になって来たら、事実が人の心を得心させて行きます。それ所か、我が口から我が事を云う様になるのであります。 そのかわりに人間が、其の…

牛馬の道(二)

然し多くの人の中には、死んでから牛になろうが馬になろうが、そんな事まで心配しては居られん。此の世は太く短く面白く暮らしたら、それで好いのだと云う様な考えを持って居る人があります。こんな人には、未来と云うものに対しては、少しも考えぬのであり…

牛馬の道(一)

人間の身上は皆神樣からの貸物であり借物でありますが、其の借主は霊で、我が物と云うのは、心一つの理より無いのであります。そこで我が心に間違いがあれば身に障りの附く様に、人間の心が人間らしくない使い方をすれば、人間で無い衣物を借らねばらなぬも…

学者の盲目

学問と云うのは昔と今、多少其の意味が変わって居るのであります。昔は文字を学ぶとうのが、学問である様に思われて居たのでありますが、今日では学問は科学と云う意味になって居るのであります。其の学問は御教祖は如何に見て居られたかと云うに、教祖は学…

真実を需(もと)めよ(二)

斯様に心から真実の理が湧く様になれば、人の助かる道が、自然に分かって来るのでのであります。丁度清水で物を洗えば綺麗になる様に、その人の話しを聞けば、自然心が洗えて助かって行くのであります。故に何はさて置いても、自分の心の真実を見出さねばな…

真実を需(もと)めよ(一)

神樣が神に凭れる子供とういて居られるには、いう迄もなくこの道を信仰して居る者を、指さして居られるのでありますが、その子供に早く表へ出る模様せよと、仰せられて居るのであります。その表というのはどういう所であるかと申しますと、それは世界の事を…

心の雑草

凡そ人間には何れもその人として、通らならければならぬ道があるのであります。即ちそれは真の道であります。所が多くの人は、その真の道を通らない為に、その道に草が生えて居るのであります。草が生えてしまったならば、道が道としての用をなさない様に、…

子供の出世

人間は皆神樣に造られたのでありますから、神様の眼からは一列皆神の子であるのはいう迄もありません。けれども子供の出世と仰せられたのは、その意味の神の子というのではなく、この世建て替への為天下られた時から、生まれて来た神の子の事であります。 そ…

人間創造の屋敷

屋敷とはいうまでもなく、元の中山家の屋敷であって、神樣の仰せに依ればこの世が未だ泥海世界であった時に、月日両神が現れて、道具衆を集め、人間を御造りなされたのであります。ところがその中で伊邪那美命が、どうしても神様の仰せに従はれぬ。そこで月…

肥の授け

肥一条というのは、いう迄もなく肥の事であります。教祖在世中に、肥の授けというのを御渡しになりました。 それは灰三合土三合糠三合、これを合わせて肥の御授けを頂かれた方が祈願して、田に置かれたならば、肥一駄のきゝ目があると仰せられたのであります…

理と心定め(二)  

その様に説くにしても聞くにしても、単なる諭しだけでは足らぬので、その理が説く者の胸に分かっていなければならぬのであります。それが分かるには、前に申した心の理から、身に現れる理を考えるのであります。それからその次には、我が心に現れる理と、自…

理と心定め(一)

我々が御道を研究するとか、勉強するとかいうのは、沢山の教理を聞くという事ではありません。それは私等を鍍金をして呉れるのみで、それに依って自分が変わるというのではありません。従ってお道の勉強は外からせられるのではなく、自己自身の内から、悟っ…

高山の説教(二)

御教祖帰幽後、刻限の話もその通りで、差図は伺い人に直ぐ渡されるが、刻限は三年や屋敷に止めて置いて、それから部下へ流す事になっています。これはその三年間に、屋敷に於いて先ずそれを行って見て、それから其の理を流すようにせられたのであります。 …

高山の説教(一)

神様が高山の説教と仰せれたのは、高山に育った木といわれたのよりは、少し意味が狭いのであります。何故ならその当時説教をする者は、仏教の僧侶か神社の神官より外に無かったから、当然それらの人々に限られて来るからであります。今日から考えましたら、…

教会略史・最終章 最近の事実

満9歳8ヵ月で二代目館長に就いた山中正善 大正三年十二月最終の日、前館長が暗雲閉ざして天日晦きに、忽然として神に召されて帰幽せられた。しかし嗣子正善殿が、父君の後を継がれ、山澤氏が管長職務摂行者となられて翌大正四年四月、神殿建築報告祭が、各方…

教会略史 神殿建築  

一派独立を祝う報告祭の様子(明治42年2月) 独立認可の一年前、四十年旧五月五日、飯降本席が、病中十年の指図を百日にして、本部神殿建築の決心を定めさせ、三年たてば木の音石の音もすると予言して帰幽さられた。 次いで独立の認可さられたので、本教の教…

教会略史 独立(二)

第三回の願書は、三十七年八月であるが、第二回の願書が教義の不明にあったから、直ちに天理教典の編纂を終へ宗教局へ提出して意見を求めた所、同意を得たので帰本し、教典を普及する為、教師講習会規定を制定し、本部を始め部下教会に於いて、講習会を開催…

教会略史 独立(一)

中山眞之亮 25歳当時 節を通りぬけたら新芽が吹くが如く、大きい節を通った本教は、一派独立の新芽を吹き始めた。明治三十二年五月、神道本局の新任管長へ挨拶の為、前館長の上京せられし際、本局の負債償還及び本局新築の寄付を感謝し、合わせて本教独立の…

教会略史 大 節

明治41 年内務省訓令発令後の天理教会本部神楽式之図 明治二十七年の日清戦争は、日本の大きな節であったが、本教も亦その影響を受けて、人夫志願の募集や、軍資金の献納の忙殺さられていたが、戦後の不況は、やがて教勢の上にも現れた。 然し教祖の十年祭が…