四十年祭までは、前にも述べた様に兎に角恐ろしい勢で進展して来ることでしょうか、そうなると四十年祭後の天理教は如何なるかと云うのに、私はそれは余程大きな節になろうと思うのであります。何故ならば四十年祭に続いて、五十年祭が来るからであります。五十年祭と云へば、御教祖御帰幽御の五十年目であると共に、天理教立教の百年に当っているのであるから、その祭典の盛大なことは云うまでもありませんが、現在本部でしておられることは、要するに五十年祭に対する準備であります。
これまでは天理教の歴史から云へば、十年目毎に何か節が現れて来ているのであります。この来るべき四十年祭にも、何か節があるであろうと思っています。峠を越せばやれ/\い云って、一ぷくするように、今度の四十年祭が済めば、皆がやれ/\一安心と云うので、一ぷくするであろうと思います。しかしまた直ぐ持ち出されるのは、五十年祭と云う大きな問題でありますから、その一ぷくも一年か一年半位にして、又活動を始めるだろう思います。そうなれば、私等お互いは息をつぐ暇もないと覚悟せなければなりません。そうして天理教全体がまた大活躍を開始したならば、そこには、予想しないことが出来上がって来るかも知れないのであります。想像以上に目覚ましいものになるのに違いありません。こう考へて見ると、天理教の将来は益々希望に輝いた幸多いものであると云はねばなりません。
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講和
(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!