増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

2024-01-01から1年間の記事一覧

四十年祭後の方針(六)

今、信仰の充実と云うことを言いましたが、これは如何にして作るものであるか、また如何にして弱い信仰を自分の胸に宿すからと云うことが、今後の考へ所であろうと思ひます。無論信仰と云うものは、教理によって培はれるものでありますが、現在の道に於ては…

四十年祭後の方針(五)

この様に、教会や教師の精神に、根本的な大きな相違があるのでありまして殊にこの傾向は四十年祭提唱と同時に、著しく現れて来たのであります。今日の教会や教師は、精神と理の上に充実性がない、未完成の教会未完成の教師であります。これは与へなくして教…

四十年祭後の方針(四)

これは四十年祭に対して大きな働きをした後の、当然の疲労であるからも知れませんが、決して望ましいこととは云へないのであります。道を通るものは、誰でも教会は盛大になる様に、沢山の信徒が出来る様にと、乞ひ願はないものはないでせうが、それに引きか…

四十年祭後の方針(三)

この様に、今日まで左程に思はれなかった本教が、突然社会に頭角を現はしたのでありますから、社会人は一斉に脅威の眼を見張ったのであります。このことは本教々徒としては誠に喜ばしいことでありますが、又一面より云へば、ものの力は堅められる程強く、拡…

四十年祭後の方針(二)

この四十年祭を中止としての活動は、過去五箇年に亘って、本教全体が一手一つとなってやってきたのでありますが、この間に色々の道中があったのであります。精神的事実から申しましても、全天理教が今度程一手一つとなって働いたことはなかったのであります…

四十年祭後の方針(一)

現在のお道は最も大切なことは、四十年祭後の道を如何にして通らせて頂かと云うことであります。それで年祭後の方針と云った様なことを、暫くお話したいと思ひます。 御本部では、本年一月に教祖四十年祭を執行されてして予想以上の盛大裡に終了したのであり…

神の用木(五)

私が教校を持たして頂いてから、毎期々々生徒が殖えます。今期も十四日に三千名卒業したのですが、あの学校へ三千名も入れると云うのは実際乱暴であります。次期には四千名も入れることになっていますが、これは尚更乱暴であります。私の心持としては実際さ…

神の用木(四)

この意味から、本部で倍加運動を云うことを打ち出されたことは、深く悟らねばならぬことであります。そしてどこまでも本部を信じてやらなければなりません。 大体ヂッとしていると云うことは、神様を疑っているのであるから、何でも地場の理に添って働かねば…

神の用木(三)

私は絶対になにもしなと云はないが、他教会に比べると、ヂッとし過ぎている様に思はれるのであります。それで私は何とか言って怒るのでありすが、私の思ふのなどは丁度二階から眼薬の様なもので、薩張り効果がありません。それであんまり怒ると、鬼門やと避…

神の用木(二)

そでこ私は今日まで思っていたことを、忌憚なく話したいと思ひますから、その積もり聞いて頂きたいのであります。或は皆様の内に怒られる方があるからも分りませんが、それは致し方がないと思ひます。 今日まで当教会の役員さが私の所へ来られても、日々結構…

神の用木(一)

今日は沢山お集りの様でありますが、この教会が出来てから、この様な盛会を見たことは、未だかつてなかったと思ひます。皆様も喜んで居られたことと思ひます。これは確かに当大教会の発展すべき旬が向いて来たのであります。又今日現会長の令息が支部長に立…

教会長の責務(六)

信仰と云うものは、私が今更申し上げる迄もなく、日に新たなる力を作るものでなければならないのであります。然るに斯くの如く疲労の色を現はし始めたと云うことは、新たなる力を作るべき信仰が無くなりかけたことでありまして信仰の堕落を物語っているので…

教会長の責務(五)

この転換期に当たって各教会と見てみますに、一般に過去三ヶ年の活動によって、稍疲労してをる様な傾が見受けられるのであります。これは現在における、天理教一般の教勢の如く、考へられているのでありますが、これは何がためであるかと云へば、云うまでも…

教会長の責務(四)

こう考へて来ますと、教会長がその使命を自覚しうるということは、一面にこの何でもという心を呼び起こすことでもあり、又一面手本雛形となって通って行くことであります。又それでこそ、成程の人や成程の理やと云われて、神様に受取って頂く道が出来るので…

教会長の責務(三)

所でかの如き自覚は、何に基礎をおいて構成されるか云へば、それは申すまでもなく、一教会の統治者である所の教会長の自覚に俟たねばなりません。 御承知の如く教会長と云うものは、信徒教徒また教師などの信仰を指導し誘導して、これを保育養成して行くので…

教会長の責務(二)

教会は五割或はそれ以上の急激な事をもって、短時日の間に発達して来たのであります。しかしこの傾向がいつまでも続くものではありません。ある時期になれば、これを内面的に、内容の充実を図らねばならない時に出会うのであります。そうして現在は、正にそ…

教会長の責務(一)

四十年が提唱さられましてから、本教の教内は俄かに活気を呈し、未だかって見なかったところの、緊張味を現して来たのであります。何処から云い出されたのか、兎に角倍加運動と云う声と共に、教会及び教師の数の増加は、約五割と云う驚くべき倍加率を示して…

来るべき問題(六)

所が芽を出すだけ出させ、枝を張るだけ張らせると、それは野育ちになってしまうから、今度は鋏でもって摘まれるのであります。鋏で摘まれた植木は傍から見れば恰好がよいが、木自身のなって思へば、矢張り摘まれるのは苦しいことであります。教会でもこの摘…

来るべき問題(五)

私等の信仰がまだ堅固でない間は、どうしても生活するかと云うことが、大層大きな問題となって私等の心を悩ますのであります。教会で内職したりするのは、お道から云へば殆どなっていない。その人達は、義理から何かで神様を祀っていると云うだけのことで、…

来るべき問題(四)

こうして考へて来ると、御教祖の年祭毎にお道は不景気の影響を受けて来ていますが、今度は四十年祭であります。こゝ暫く前までには好景気が続いて、四十年祭を前に控へた今年になってから、こう不景気風が吹きかけて来たのであります。それで私は、四十年祭…

来るべき問題(三)

今までに時々話を聞いて見るのに、教会で内職をしている所が沢山あったが、こゝ一二年來殆どそんな教会はなくなったと云うことであります。今から十年程前には、教会はやっているものの、食うに困って内職をやっていた様な教会かくあったのであります。これ…

来るべき問題(二)

それでは、どう云う所が変わって来たかたと云うと、世の中に金が出来て来たと云うことがわかった。昔の時代に比べて、現在の世の中には金が非常に殖えて来たことが私等にもよくわかる。金が殖えるばかりで、品物の少ないから金の値が下がって品物の価値が上…

来るべき問題(一)

何か題を出してお話しせよ云うことでありましたが、私は昨日まで他所へ出て居ったので、別に何も考へて居ないのですが、兎に角「来るべき問題」と云うことにして、お話し致したいと思います。 所でこれは将来に関することであって、只私が将来はこう云うこと…

三つの問題(七)

世の中には、人も金もあります。けれども理がなかったならば、一文も集って来ないのであります。理のある所へは寄って行くのであります。人を喜ばす理さへ作って置けば、人も寄って来るのであります。借金で苦しむ教会は、何が足らないのか云へば、徳が足ら…

三つの問題(六)

この頃の道の状態は、景気は益々悪くななってくるのに、四十年祭の仕事は益々殖えて来る。その間に挟まってギュウ/\云っているのは私等お互いであります。私は常にこう思っています。それは人間が苦しんでいる時は、最も神様に近い時であると云うことであ…

三つの問題(五)

この様な次第で、一面から考へると非常に白熱化した点もあり、又一面四ヶ年間に亘る非常な働きのため、稍々疲れた所も見えるのであって、何れが本当なのか一寸見当がつきかねるのであります。この際進む教会はどし/\進み、部下も栄え生徒も出来るが、へこ…

三つの問題(四)

一般の教会に就いて考へて見ると、白熱的意義が無いように見られますが、現在の教校に於ける入学生の率から考へますと、白熱的であると云はねばならぬのであります。普通春と秋とは、十と七との割合で春の方が多いのであるが、今度は四十年祭前で余程疲れて…

三つの問題(三)

第三の問題は、昨年の末までは誰も知らなかった問題でありますが、今月十七日に、管長様が私等青年会長役員一同をお呼び寄せになって、こういうことを申されたのであります。「自分が先般青年会長に就任するに就いて、青年会員の倍化を行ったそうであるが、…

三つの問題(二)

この様に、お道の総ての方面に倍加の実をを挙げたのでありますが、ただ婦人会のみが、元の会員十五萬だけで五六年前から変わっていないのであります。婦人会の倍化運動は、或は本部から打出されたないかも知れませんが、若しも婦人会なるものが、本教の羽翼…

三つの問題(一)

いよ/\教祖四十年祭も、来年一月に行われることになりまして、本年はお道の者が四十年祭に働かさせていただく最後の年になったのであります。過去四ヶ年の間、如何に立派な働きが出来ていても、最後の一年に充分の働きが出来ない様では、所謂有終の美を納…