この様な次第で、一面から考へると非常に白熱化した点もあり、又一面四ヶ年間に亘る非常な働きのため、稍々疲れた所も見えるのであって、何れが本当なのか一寸見当がつきかねるのであります。この際進む教会はどし/\進み、部下も栄え生徒も出来るが、へこたれる所は、全くへこたれてしまいますから、この際に於ける心定めがなにより肝腎であります。即ち四十年祭に対して、有終の美を齎すか、それとも龍頭蛇尾に終わるか、心定め一つにかゝっているのであります。
今度講習会を開かれましたのは、即ち有終の美を納める、素因を作るためでありまして、全くこの点に着眼されたからに外ならないと思うのであります。この意味に於いて、この講習会は重大なる意義をもっているのであります。
今までから、教祖の年祭と世界の不景気とは何時も鉢合わせして居るのでありまして、これは多分理をとして、世界の苦しい時に、道が栄えると云う御言葉の如く、そなってくるのであろうと思うのであります。物質に頼らぬ人々が道の精神に縋って、生きて行く機会をお与へになるのであります。物質には囚はれ易いのは人間の心であります。世界不景気になって来て困ると云うには、物質に心が仕へているからであります。神様が各自の心を捉へるには、不景気にするのが一番よりと思って居れられるらしいのであります。不景気になって物質にたよれぬ事が自覚されて、どうしても物質以外のもの、即ち神にたよる心になるのであります。
NEW★立教187年春季大祭記念 高井家資料(更新中)
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講話
(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!