増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

震災地より帰りて(二)


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それから高崎辺まで行くと、もうそこでは流言飛言が盛んに言いふらされて地方長官の証明なければ入京出来ないかと、軍隊が守っているから決して普通では入れないと云う様なことが云はれていました。そこで私は、前橋で一先づ下車して、県庁の証明書を貰って入京しよと思いましたが、どうしても許して呉れない。又東京教務支庁は無事で、千人餘りの避難民を収容して居て、前橋から米を自動車に二台送ったとのことであるが、始め一千人から人を収容した時は、東京教務支庁には米二俵しかなかったと聞いたので、私等はそこで、味噌、さつま芋、米等を買入れて自動車に乗せ、自分等も乗りこんで入京しよと思ったのですが、その時既に県庁では自動車を徴発していたので、一台の自動車もなく、再三県庁へ交渉してみたが、どうしてもいけない。仕方がないので五日の午後前橋を立つことにしました。普通なれば、前橋から日暮里まで三時間で行ける所を、十五時間もかゝって、一寸した駅でも大方一時間づつ停車しながら、やっと六日の朝八時日暮里に着いたのであります。所が東京は割合に警戒が厳重でなく、又東京の支庁から迎えに来て下されていたので、たやすく入ることが出来ました。

私等は三日にお墓地を立って、六日の九時頃に漸く東京の支庁に着いたのでありますが、私はすぐに松村先生に会って本部の命を報告したのであります。先生は、食糧を上野の罹災民に与えるため自動車を出すから、一緒に行ったらよかろうと云われたので、その積りで待って居た所が自動車が徴発されて行く事が出来ない。やっと自動車を見付けても、自動車を動かすガソリンがない。たま/\あったとしても普段三円位で買えるガソリンが、五十円と云う高値になり、二時間も走らせれば八十円もかゝると云うので、中々思う様に手に入れることが出来ない。仕方がないので、田舎から来た荷馬車を雇って、それに握り飯を積んで行くことにしたのであります。

上野まで行くと、そこからあたりトタン屋根の見苦しい小屋が、あちらこちらに沢山建ててあり、その小屋から疲れ切った様な人々が、車の周囲に群がって来ます。所が東京市から出ている飯は、玄米で作ってあり、支庁の方から持って行った握り飯は白米であったので、罹災者は非常に喜んで呉れたのであります。その中にあんまり綺麗な握り飯を配ったものであるから、警察へ届けた者があったので、警察から調べに来たが、私等は天理教の東京教務支庁から救済に来たものであると云ったので、事もなく済みました。

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信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

★天の理

★大平良平資料集

★貸物、借り物の話

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★中山みき神言集

★神・中山みき伝

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★このやしきもとのかみ/\でてるから
 にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは

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春日大社と月日信仰 春日信仰とは月日親神信仰である。

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