増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

 震災地より帰りて(四)


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全く焦土と化した東京の廃墟に、親や子供を尋ね廻っている罹災民を見たり焦げただれた死体を見ると、実際酸鼻の極と云いませうか、地獄以上の有様であります。

その翌日は、用事もあり疲労も激しかったので支庁に居り、翌々日即ち八日に横浜へ出掛けました。幸いその時は東京横浜間の汽車が開通していたので、無蓋列車に乗っていきました。それも命がけで乗ったのであります。なんでそんなに込んだかと云へば、三日前までは全く汽車が不通で、他の交通機関も全部破壊されて居ましたから、横浜の被害がどれだけか、さっぱり分からなかったのであります。そのためにそれを見舞に行く人々が、一時の集まって来たから堪らないのです。

 やっとのことで横浜へ行くと、横浜は見るも無残にすっかり焼けていて、あちらこちらの山の裾に、ちょっぴり家が残っているばかりでありました。まだ東京の方は半分だけ助かっているが、横浜の方は、全部と云へば、全部焼けてしまっているのである。その様な様子で何分交通が不便なため、取り片付けの方もまだ手がつけてなく、漸く電車通りが少し片付いていた位でありました。私が行く二三日前に軍艦が来たそうですが、海岸の近くにある石油倉庫が焼けて、石油が海の上一ぱいに拡がり、それに火がついて、港全体が火の海と化して終ったために、小舟が焼けて寄り付くことが出来なかったそうであります。今日の新聞を見ると、そこからの海から取れた魚が、石油で油臭くなっていると云うことであります。幸い横浜のは庫に米があったので良かったが、水とか他の食料がなかった為に困ったと云うことです。又辛うじて倒壊を逃れたものでも、半壊にはなって居るような状態でありましたが、東京の方は地震より火災がひどかった様ですが、横浜の方は地震と火災と両方ともひどく、道が割れて居た所が多かった。私は見なかったが、その割れた所に挟まっって、死んだ人が沢山あったと云うことであります。

高井直吉翁が息のさづけを頂く前夜に見た大竜の夢を孫虎夫が描いた絵

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十柱の神の守護の理と八つのほこり

門外不出資料】

中山みき高弟子の十二下りのみぐら歌の解き分け

教祖140年祭、三年千日記念 

★大正時代の別席講和

(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)

信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

天の理

大平良平資料集

貸物、借り物の話

神の古記

中山みき神言集

神・中山みき伝

中山みき在世時代の病諭し

★このやしきもとのかみ/\でてるから
 にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは 

★真おふでさき解釈

  

お金と信仰について  百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。

(中山みきの神言集より)

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