教会の復興(一)

確か昨年の九月であったと思いますが、本部に於いて教庁の職制が発表されまして、それと同時に、その職制の上から夫々任命があったのであります。それ時各教務支庁も更迭になりまして、こちらに永らく勤めて居られました梶本庁長が、奈良にお移りになり、こちらは私が受け持たして頂くことになったのであります。
私はその辞令を頂いた晩に、心静かに考へて居りますと、今度東京へ云行かねばならないことは、何か神様が自分にせなければならないことを言い付けて下さるに相違ない、という感じがしたのであります。ところでその時、問題になっていたのは、東京の教会の復興でありました。そこで自分は、微力ではあるが神様がそう方面に力を入れよと命じて居られることを感じなのであります。それ以来、どうかして東京の教会の復興をさして貰いという心が、終始私の胸にあったのであります。けれども、丁度その時は目前に四十年祭が控えて居りましたので、そのことに意を注ぐことが出来ずに、又本年の四月には管長様が東京の帝国大学に御入学になりまして、こちらの支庁にお出になりますために、私も亦そのことに没頭せなければならいことになり、色々多忙を極めまして、事情已むを得ず、最初の使命に向かって全力を注ぐことが出来なかったのであります。なほ今一つ、四十年最後、本教の教勢が甚だ疲れ切っている様に見受けられますので、この際餘りやかましく云うのも少し考へものだと思いまして、実は私の裏心の考へをお話しなかったのであります。
しかし四十年祭が終わりましてから、はや一年近くになのでありますから、いくら寝坊でも一年寝たら目が醒める筈であります。又東京の震災から申せば三年目であります、何もない處からでも、三年経てば一寸目に立つものが出来きて来るのであります。東京市の復興事業から申しましても、最近余程進行した様でありますから、多分来年度あたりから、本当の仕事に這入って来ることと思います。
NEW 資料 一の打ち明け
「明治五年三月五日 前川家にて初めて、がぐら面をつけて、かぐらつとめが行われた。
くにとこたちのみことは、前川半三郎氏がかぶって、前川菊太郎氏が尾を持ち北に立った。をもたりのみことは、雄獅子面を秀司氏が着けて、真之亮氏が尾持ちをされて南に立った。くにさづちのみことは、巽の方におかじ(仲田義三郎の妻)さん、つきよみのみことは、乾の方に仲田義三郎氏が立った。くもよみのみことは、櫟枝村のおことさんが、東に立ち、かしこねのみことは、坤の方に辻忠作が立った。たいしょくてんのみことは、うしとらの方に、桝井伊三郎が立ち、をふとのべのみことは、西に飯降伊蔵氏が立ち八方を陣を作った。
そして中央に、
いざなみのみことを山沢良助氏と
いざなみのみことは飯田岩次郎氏が相対して立った。
皆、黒紋付黒袴であった。をやさまは、床を背にして座し給い、
側に地方の山中忠七氏、琴の手の小寒様、三味線はおしづが控えた。」
~一の打ち明けより抜粋
NEW★立教187年春季大祭記念 高井家資料(更新中)
吾身を忘れ、人間思案を捨てて、日々つとめはけむのが一番理に適うと思う
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講話
(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!