この様に宗教家と云うものは、一に神意の現威を説き、之を顕揚してゆくことであります。だから人を教へ導くに先だって、先づ神意の奈辺にあるかを知らなければなりません。これを知り、これを悟るには、矢張り神様の大きい事をした後でなければ、仲々分らないものであります。
御神言にも「ようこそ勤めについてきた、これが助けのもとだてや」と仰せられています。然しこの勤めは、自分の心で自分の身体を使うだけでは、勤めとは云へないのであります。神意の動く通りに心を使ひ身体を使うのが勤めであります。だから、大きな勤めを済ました者は、大きな悟りを得ることが出来、大きな悟りを得たものは、人に説く時確かなことが云ひ得られるのであります。
故に私等は、どうしても神様の御心を悟って、これに伴って働くと云うのでなければなりません。又勤めの内には、是非共心の勤めを充分にせなくてはならず、この心の勤めを充分にすることが出来てこそ、そこからどんなことも、自由自在に現れて来るのであります。
以上申しましたことが、今後道を通るものの正しい道であるとしますれば、勢いこれからは、今日までの働きと、その目的に違って来るのであります。今までは教会や教師を作るのが目的でりましたが、今後、私等は如何にして神意を悟るか、如何にして、神様の接近するかと云うことが目的となって来たのであります。又今日までは、地場を中心として活動したのでありますが、何時までも、それではならないのでありまして、今日までは御地場のために、御地場を目的として消極的な活動をして来たのでありますが、今後は、積極的に御地場のために、世界に向って働くと云うのでなければなりません。言葉を換へて云へば、地場を背景として、世界に向って働くと云うことであって、実現を計るためには、教会の内部に没頭していては、到底その目的を果たすことは出来ないのであります。
乃ち私は「教線を越えて働け」と申し上げていたのであります。この教線を越えて、神様の御心の自覚して働くことは、真に宗教の使命を完うすることであって、更にこの人にして始め本当の教会を作り得ると云へるのであります。
そこで、教会のために苦しんでいると云うのでは、理が立たない。即ち一歩教会と云うものを、超越しなければならぬのであります。教会が大きく見えたり、教会が尊見えている間は、教会に苦しんでいるのであります。こんな教会位なんでもないと思へば、却って助かるのであります。
この意味から云っても、今後の教会の執るべき道は、ただ各自の信仰の向上にあるのであります。この向上した精神によって、神意さへ悟れたら、総ては解決されるのでりあります。それを人間思案で、金や言葉で解決しようとすれば何時までたっても出来るものではありません。神様の御心を悟って、その御意思を体得した時に、動かすことの出来ない深い信仰が生まれのであります。
NEW★★立教188年春季大祭記念 教祖ご口伝おことば
NEW★立教187年春季大祭記念 高井家資料(更新中)
神さまの一番お嫌いな心使いとは(高井家資料より抜粋)
神様は「うそ」と「ついしょう」大きらい、欲に高慢、これきらい、と仰しゃる。
八つの埃(ほし、おしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、こうまん、よく)よりも、「うそ」と「ついしょう」は、おきらいである。
うそとついしょうの元因は、やはり、自分かわい、吾身かわい、と云う欲の心から起こって来る。自分と云うものを、よう捨てきらないからである。
かねて父から(猶吉)「この道は、良い事をしておこられる、悪口を云われる、と思うて通れば、間違いないのや」と聞かされた。言いわけをしたり、心にもない事を云うたり、中心、誠心なくて「おじょうず」を云うたり、あるいは、うそを云うたり、これ皆、吾身かわい、と云う心から有る。故に日々は神様をめどうとして、神様におもたれして、通らせて頂く、人は知らなくても、神様がご存知じじゃ、人間思案するといらん、お歌にも
めい/\のハがみしやんハいらんもの
神がそれ/\みわけするぞや
吾身を忘れ、人間思案を捨てて、日々つとめはけむのが一番理に適うと思う
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講話
(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!
今四十年祭後の転換期に当たりまして、各自の信仰の向上の計り、助け一条の理を現すがために、宜しく今後は、教線を超えて進むべきであることを申し上げたのであります。