増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

地場を辞する人々へ (一)


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今日は皆様が何故教校へ入学して来られたか、そうして今後如何にして通って行けばよいか、と云うことをお話する積りでありますが、この話が本当に判りさへすれば、これまでお話したことが、皆様の胸に蘇って来る時期があるだろうと思います。

話を進めて行くに先立って、現在のお道の有様はどうであるかと云うことから、お話して行くことにします。併しこの現在のお道の有様と云うものは、皆様が半年もこの御地場に居らたことでありますから、大体は判って居られることだろうと思います。だから極く大体を申しますと、この頃のお道は非常に活気が表れ、人々の精神が大変緊張しているのであります。今から四五年前のそれと比べると、正に隔世の感があります。

勿論これは大正十一年の春に、来る十五年の一月に 教祖四十年祭を執行すると云う旨を本部から提示さられまして、この実行方法として、誰が云うともなく、倍加運動の型を取とる様になって来てからだろうと思います。所がこの倍加運動の型をとる様になって来たからだろうと思います。所がこ倍加運動も、凡て数字の上に現れた天理教の教勢を倍にすると云う大きな運動でありますが、今年の中にはそれが出来上がりそうになって来たのであります。しかし宗教と云うももの本当の発達から申せば、倍加位のことではいけないんのであります。鼠算と云うことをよく云いますが、それでなければならないのであります。鼠と云う奴は、一ぺんに七匹も八匹も子供を産みます。その子供が又七八人匹の子供を生みます。この様にお道全体のものが、少なくとも一年に七八人新しい信徒を作る云う様にして、発達して行かなければいけないのであります。それから見れば倍加などど云うことは、まだ/\鈍い動きであります。しかし教祖四十年祭と云うことが云い出されてから、僅か二年半の間に、こゝまでの成長をして来たと云うことは、非常に発展と云ってもよいのであります。この調子で進んで行けば、四十年祭までには、もっと大きなものが出来て来ようと思います。これを実際の上から云っても、この教校などの最初私が来た当時には、生徒が二百八十名程しか居なかったのです。それが次には五百になり、八百になり、千になり、二千になりまして、到頭三千と云う数までに、異常な勢いで増して来たのであります。今日でこそ学校も大きくなって来ていますが、こゝでになるには随分種々のことがあったのであります。生徒が殖えるから教室を建てて下さる様にお願いする度に、そんな大きなものを建てて、後で空家になっては仕様がないのではないかと、必ず一度は叱られたのでありますが、段々大きくなって、今日の様になって来たのであります。けれども私が理想通りの教育をいしようとすれば、この位の大きさの学校が、もう二つ三つなければならぬのであります。しかし思う通りにならないので、こんな具合に寿司詰めの様に狭い所へ這入って貰っているのであります。一組に五十人位の生徒を容れて教へるのならば、丁度芋の皮を一つ一つむく様に、綺麗にして行くことが出来るのですが、今日ではとてもそう云う訳には行きませんから、一つの桶に入れた芋を洗う様な工合に、同化してゆくより外にないのです。それでもこちらが搔きまはして居れば、皆が勉強をして下さるので、お互い同志の間で、自然に皮がむけてしまうのです。そうした乱暴な方法を採っているのでありますが、次の期には四千名の生徒が来ると云うことになっています。そうなれば学校は一杯になって、とても容れ切れないのであります。けれども容れ切れないからと云っても、今は教室を建てる場所がありません。また時日もないので、都合に依れば夜昼にでもやろうかと思っています。そうすば神様も喜んで下るだだろう思います。

この調子で進んで行けば、この先本校はどうなるか分からないのであります。或は五十年祭には、三四萬の生徒が来るかも知れません。斯う云うと、皆さんは笑うかも知れないが、私が来た時には僅か三百足らずの生徒だったが、今日では三千人にもなっています。その当時には、三年後にならば三千からの生徒が来ようとは、誰も想像していなかったのであります。だから三四萬は来ないとも限らないのでありまして、この調子で伸びて五十年祭にもなれば、大した数の生徒が来ることだろうと思います。しかしこれは将来のことであって、現在三千の生徒が居ると云っても、これを日本全国に撒いたならば極く少ないものです。一教会に分けて見れば、一人に足らないことになります。少なくとも一教会に三人や四人に教師がないことには、本当の活動が出来ないのですからそうなれば、三萬や四萬来る位のことは何でもないのであります。従って、私の三萬入学説は事実となるかも知れません。一つの教会で、一年かゝって一人や二人位の信徒が出来ない様なことでは、なんとも仕様がないのであります。

 

 

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信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

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