心を合せて喜んで道を通れば、神様も喜んで働いて下さるのでありますが、成らん様なことでも、神様の御守護で出来るのであります。人間は成ることは誰でもする様に思いますが、道は成りそうなことが成らず、ならんことが成って来るのでありますが、そこに神様の働きがあるのであります。成らんことをする時には、成らんと思いますから、神様にお縋りをする、神様は縋るから出来るのであります。人間に出来ると思う時には、神様にお縋りせないから、神様のお働きが添わないのであります。
そこで道のものは、自分の精一杯させて頂かうと云う精神ではまだ足りないのであります。自分の力以上の、出来ないことをさせて頂くと云う精神でなければならないのであります。その精神に神様がお働き下るのであります。世界の人の出来ないことをして行くのが道であります。
あの御本部の御普請をさせて頂く様になったのも、当時本部の会計では、毎年幾万円か足りなかったのでありますが、その時端なくも大きい普請をせよとの御指図があって、それが動機となって出来たのであります。人間の出来難いと思う時に、神様はせよと仰せられているのであります。神様はいつも人間の考へと、反対のことを仰せられるのであります。しかし人間が出来ないことをするのは、神様のお力が現れるからであります。私等はいつも力以上のことをさせて頂く精神でなければならないのであります。
勿論各教会に於きましても、四十年祭の働きについては、十分働いて下さっていることは思いますが、最後に充分精神を充実して、力以上に立派な働きをして下さらんとことをお願いする次第であります。
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講話
(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!