人はよく誠と云うことを申しますが、本当の誠はそういう口で云う様に、容易に現れるものではありません。本当の誠は一番苦しい時に現れるものであります。
一切を捨てて難儀苦労をする中に、誠が現れるのであって、難儀苦労をすると云うことは、誠を知る為に必要であります。
凡てのものを捨てることは、それ以上の物にありつくことであります。例へばこの手の中に、或一つの物を持っている時に、他の一つのものを掴みたいと思へば、現在持っているものを捨てなければなりません。私等は財産を捨てることによって、もっと大きいものを掴むのであります。世の中のもので、目に見えるものよりも目に見えぬものに尊いものがあるのであります。私等は見える貴いもものよりも、見えない大きいものを掴むことが必要であります。大きいものを掴むと云うことは、神様の思召を知ることであります。この神様の思召の分かることが一番尊いのであります。子が親を信じる様に、神様を信じて通れば、神様の思召が分り一切が明らかになのあります。
然し神を真に信じて通っている人は少ないのであります。世の中には自分の親を疑っている人があります。私等はどこで誰に生んで貰ったかと云うことは、親の言うことを信じなければ分からないのであります。親の言葉を信じて始めて総てを知ることが出来るのであります。ですから私等は親の言葉を信じるより外にないのであります。この意味から云って教祖は私等の親であります。この世のことは親である教祖が現れて下さって、凡てを知ることが出来たのであります。それで私等は教祖の御言葉を信じることが一番大切であります。
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講話
(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!