増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

地場を辞する人々へ(五)


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「用木に神が入り込む」と神様は仰せられています。心に神が入り込んで働いて下さるのでありますから、人間思案の及ばぬことが見えて来るのは、何も不思議ではないのであります。所で、神様に入り込んで働いて貰はうとすには、此方の心を綺麗に掃除して置かなくてはなりません。

 一度行って綺麗な家であれば、もう一度行こうかと云う気ににもなりますが、それと同じで、こちらの心が綺麗にさへなっておれば、神様は何時でも入り込んで働きをして下さるのであります。そうなれば世界の人は、何ぼでも従いてくるのであります。それでありますから「あの人の所へ行けば、何でも助けて下さる、不思議だ」と云う風に、世間の人が観て呉れる様にならなければ本物ではありません。人間思案から出た善いことを教える位の考では到底お助けは出来るものではありせん。

善いことを云ったり、賢いこをと考えたするのならば、坊さんの方がお道の布教師より余程偉いと云はなければなりません。しかし神様が入り込んで、不思議な助けをしたり、総てのことを真実から行うてかゝると云うことになりますと、世界の人では出来ないのであります。これはお道の人だけが恵まれた特権でありまして、そこが大へん変っている所なのであります。行うた上から澄ました所に、神様が入り込んでお働き下さるので、教えを広めに行く以上は、私たちはお互いに神様の御名代だと云う覚悟がなければなりません。で神様も「まさかの時には月日の代理とも云うたる」仰せられております。取次人、代理人として、本当に神様の御心にある所を真面目に教えてさへ行けば、神様もそれを見ていて下さるから「あの者にところへ連れて行けば、神の心を取次いでくれるから」と云うので、神様も信用して、幾らでも新しい人を連れて来て下さるに違いないのであります。ですから布教に出て行けば、最初神様がお与え下さった病人を大切にして、それを助けて貰はねばならぬのであります。最初与へられた病を助けられない様では、神様の御試練に負けてしまっているのであるから、どうせ碌なことはないのであります。

これを要するに、皆さんはお互いに、神様の代理人として立って居るのであると云う固い信念と、全世界は自分の子供だと云う広い大きな自覚を以て、進んで行って下るならば、今まで私が色々にお話したことは、皆生きて来るに違いないのであります。

 ですからこの強い自覚を持って、四十年から五十年様へかけて、懸命の活動に従事されんことを切に望む次第であります。

高井直吉翁が息のさづけを頂く前夜に見た大竜の夢を孫虎夫が描いた絵

 

NEW★立教187年春季大祭記念 高井家資料(更新中)

★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
十柱の神の守護の理と八つのほこり

門外不出資料】

中山みき高弟子の十二下りのみぐら歌の解き分け

教祖140年祭、三年千日記念 

★大正時代の別席講和

(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)

信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。 

天の理

大平良平資料集

貸物、借り物の話

神の古記

中山みき神言集

神・中山みき伝

中山みき在世時代の病諭し

★このやしきもとのかみ/\でてるから
 にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは 

★真おふでさき解釈

  

お金と信仰について  百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。

(中山みきの神言集より)

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