増野鼓雪の鼓雪(こせつ)は雅号で、本名を道與(みちおき)といいます。 明治23.2.13日、父を正兵衛、母をいととして出生されました。 その出生に先立って、本席が、正兵衛氏に「不思議な子を授けてやると神様がおっしゃっています」といわれたと伝えられている。「この子は将来、必ず道を興すので道興と名付けなさい」と本席を通じて語られたという。
明治23年、教祖中山みきの高弟子の一人増野正兵衛の息子として生まれ、20代で早くもと頭角を現し、29歳という異例の若さで天理教本部員に登用され、以後15年間に目を見はるような数々の業績を残し、昭和3年11月、39歳という盛りの年に世を去っていった。
天啓者を失い、沈殿した大正期の天理教団に、再生の息吹を与えたのたのが、この増野鼓雪であった。
本ブログは増野鼓雪の書き残した数珠玉の教理をもとに親神と中山みきの真実の教理を探求していく。