人間と人間とが相接触する機会は、社会が開花されて行く程複雑になって来る。従ってその接触の仕方が昔とは次第に異なって来る。昔は一村乃至は近郷の人々と接触するに過ぎなかったから、接触の範囲は狭かったが、その接触には深味があった。然るに近頃は接触の範囲が拡大されて来たが、接触の深味がなくなっている。同じ一村内に居住していても、顔を合わすばかりで、話し合ったことが無いと云う風になって来た。
澄心の一路は本教の骨髄である。四十年祭は教祖の霊に対する報恩としては、意義があるけれども、年祭は教会が中心となって行われただけ、澄心の一義から見れば、甚だ邪路に踏み入った感がある。即ち祭典が大規模であるだけ、それよりも、主としてその心を澄ます、即ち霊心を浄化するために努力せなければならぬ。これを云い換へれば、大きな仕事をした為に、それだけの汗や土で身体が汚れたんであるから、仕事が済んだ後では、風呂に入って身体を洗はなければならぬのと同断である。これが反省の道である。
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⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
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☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!