人間がいづむと云うのは、神様と人間との間に曇りがあるからである。この曇りを取り去らなければ、人間は神様と共に暮らすと云う境涯に入ることは出来ないのである。この曇をのぞくには、私等は自分自身のことについては一切考へずに、神様に喜んで頂くと云うことを考へるのが、何よりも肝腎である。
神様は「我が身我が家から思案する理は何よの事を受取ること出来ん」と仰せられてある。神様は後まわしにして自分のことを先にするから、神様に受取って貰へないのである。それは丁度食べ残しを人に上げる様なもので、喜んで貰うことは出来ないのである。我が身のことは一切考へず、先づ神様に喜んで頂くと云うことを考えて通って行くのが、天の理、神の道に添って行くことである。
しかし、そうして行くのは窮屈であるかも知れない。けれどもその窮屈な道を、歩み通って行くことによって、理をつけて頂くのである。この道を本当に通って行くものには、神様は特別の御守護を下さるのである。
この道は、窮屈が通から行うと云うものでも、解るから通ると云うものでもない。それでは本当ではないのである。教祖が教へられたから、通ると云うのでなければ嘘である。今の人々は、解れば通るが、解らぬことはしないと云う様なことを云うけれども、教祖は時間を超越して、何十年も前や先のことを申し居られるのであるから、それが解りそうな筈はないのである。
だから私等は、神様の思召のまゝに、何も云はずに通って行けば良い。神様の思召のまゝに添って通って行くと云うことが、本当に道を歩むことなのである。
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