増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

教祖略伝 帰幽(二)  

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真柱の中山眞之亮飯降伊蔵を通して、人間は法律に逆らうことできない、三ヵ条についてのお尋ねがあれば何と返答すればいいのかを伺うと「さあさあ月日ありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」と月日がすべてに優先し、神の話を心に治め、それにかなう真実の心を定めることが元の神、実の神信仰の順序の理であるとの天啓が下った。

明れば明治二十年、教祖九十歳を迎へられた。正月十九日の夜に至って、教祖の身上勝れたまわぬので、御伺いすると、勤めをせよとのことであった。然し勤めをすれば警官が喧しいので、暫く猶予を御願い申した。

正月二十六日、又々教祖の身上が悪いので、飯降氏に依って神意を伺われると、さあろくぢに踏出す、さあ扉を開いて地をならそうか、扉を閉めて地をならそうかとの御尋ねであったので、扉を開いて御守護願度と御答へした所、一列扉開く開くころりと変るでとの仰せであった。

同日教祖が神楽勤めを急込みたまうこと、甚だ急であったので、前館長始め門弟等は、警察に拘留せれるる覚悟を定めて、常になく鉦太鼓の音高く、甘露台を中心に、神楽勤めを行われた。

 

※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!