明れば明治二十年、教祖九十歳を迎へられた。正月十九日の夜に至って、教祖の身上勝れたまわぬので、御伺いすると、勤めをせよとのことであった。然し勤めをすれば警官が喧しいので、暫く猶予を御願い申した。
正月二十六日、又々教祖の身上が悪いので、飯降氏に依って神意を伺われると、さあろくぢに踏出す、さあ扉を開いて地をならそうか、扉を閉めて地をならそうかとの御尋ねであったので、扉を開いて御守護願度と御答へした所、一列扉開く開くころりと変るでとの仰せであった。
同日教祖が神楽勤めを急込みたまうこと、甚だ急であったので、前館長始め門弟等は、警察に拘留せれるる覚悟を定めて、常になく鉦太鼓の音高く、甘露台を中心に、神楽勤めを行われた。
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