神の出現はそれが既に人類に対する大なる恩寵であった。その霊救を受けんと欲せば、先ず教祖の真実を受けねばならぬ。教祖の真実に同化され教化され霊化される所に霊救は添うのである。
教祖五十年の難儀苦労の道は、この真実の心を万人に移し宿さんが為である。何の議論もない、何の理屈もない、唯その道を踏み、その御苦労を味わい、教祖の心をそのまま我が胸に宿し移したる時、不可思議の霊救は直ちに下るののである。
霊救は神秘であるが故に奇跡という。奇跡を否定せんとする者は自己真実の否定である。奇跡は真の心の願いより見出す神の姿である。
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