昨年の確か一月であったと思ひますが、女学校の寄宿舎で、こちらの教会長なり信徒方のお集りの所で、一度お話し申し上げたことがあります。その時の話はよく記憶していませんが、大体こんなことを、申し上げたと思ひます。
尚教会に対する久しい問題も解決して、その後強勢がどうなって行くかと云うことに注目をしていたが、その後の結果から見て、お道はどうしても、本部を中心として働かねばならない、本部中心、地場中心でなければならないと云ふことを、お話しした様に思ひます。
その後、今日で約一ヶ年を経過しているのであります。その間に当大教会としては、唯詰所に移転をしたことが、最も大きな仕事であります。道は必ずしも形の上のことを尊重するのではありませんが、しかし精神のある所心のある所には、必ず何物かが表はれて来なくてはならぬのであります。ただ単に思ひますが、それが真底からの働きであったならば、そこには実際にものが表れて来なければならぬのです。従って現れた実際について判断するより外ないのであります。この意味から云って、詰所の移転は大きな仕事であります。しかしよく考えて見ると、名京の分離と云うことがあったので止むを得なかったことでありませうが、山名としては一般に道が進んでいない様であります。
一体信仰を持ったものは、逆境にある時ほど、信仰が向上するものであります。幸福にある時よりも、不幸の立場にある時の方を、より感謝せなければならぬのであります。幸福を幸福として、喜んで行くことは、何人にも出来ることでありますが、逆境や不幸に立った場合は、それを喜んで行くと云ふところに、始めて信仰を持ったものの意義があるのであります。病に苦しむと云うこうことも、道以外の者は誰でもそうは思いませんが、それを喜ぶと云う逆境に至って、始めてお道と云へるのであります。
でありますから山名としては、初代会長の出直しに引続いて、名京の分離があったのでありますが、これは即ち逆境に立ったのであります。しかしそれによって道が進んで行かなければならないのに、現在では却ってそうでない傾があるのは何故でありませうか。私の考へでは、餘り教会中心に考へ過ぎて、根本の信念を誤っていたからではなかったかと思うのであります。
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信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
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★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
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