本宅は売払われ、夫善兵衞殿は死去せられ、残るは田地三町歩と屋敷のみとなった。教祖は田地を十年間の年切質に入れ、屋敷内の伏込柱で八畳二間の家を建て、土蔵よりここに移られた。
その当時既に長女政子様は、豊田村の福井家に嫁し、三女春子様は櫟本の梶本家に嫁いで、中山家には長男の秀司殿と、末女の小寒子様と、教祖の三人が淋しうその日を暮らして居られた。
夫在世中は未だしも、逝去の後は、親族は次第に不付合となり、知己の人々も誰訪ねる者もなく、村人は嘲笑と猜疑の眼を以て眺め、かつては教祖の慈悲に浴したる者も、誰一人立ち寄る者さえ無くなった。
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!