増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

教祖(二)

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 教祖四十一歳の時、夫善兵衞眼疾に罹り、長男秀治足痛を病み、教祖亦腰痛を覚えたもうたので、修験者を招きて祈祷を乞い、教祖自ら加持台となりたもう。祈祷の進むや教祖の容姿たちまち変じ、厳然として、我は天の将軍なりと宣せられ、教祖の身体、中山家の財産、一家の人々を神にもらい受けんとの宣託であった。三日三夜押し問答の上一族真意を奉せられたので、以来教祖は神の社となりたもうた。

神は教祖に世界一列を助ける為、貧の谷底に落ち切れと仰せらる、教祖神命に従えば家族の苦労を見なければならず、主婦として一家を思えば神命の背かねばならず、その間に立って教祖は苦悶の結果、幾度か死を思い立ちたもうた。されど神の養護と訓戒とによりて、艱難辛苦の道を通り、五十六歳の時夫の死去さられし後は、全く貧のどん底に落ち切りたもうた。

落ち切ったら上るより道はないとの神命の如く、火の中淵の中を通り抜けらた教祖は終に細道を見出し、一歩一歩向上の道を進みたもうた。而来教の零化を受くる者日に多く、元治元年頃には教祖を神と慕いて参ずる者所々に現れ、勤場所の建設となった。

 

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