帯屋疱瘡は萬道開けと教義にある如く、教祖の教は帯屋許しにその端を発している。教祖四十四歳の時、明日は何処へも出るのやないとの神意により、在宅された所、突然流産さられた。自ら汚れ物を洗い、平常通りに状態であられせられた。これを帯屋試しという。
里人教祖の行動を狐狸の類とし狂気と称するを以て、教祖は神命のままに、五十一歳の時より六年間ばかり、針子を取りて裁縫を教へたまい、狐狸の術にあらざるを証せられる。
教祖五十六歳の御時夫殿が没せられた。その年十七歳の小寒子に命じて、二、三の門弟と共に大阪に遣わし、辻々に立って声高く、天理王命と神命を唱へしめ、匂い掛けの道を開かしめたもうた。
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