明治六年教祖は飯降氏に命じて、甘露台の模型を木製にて造らしめたもうた。尤も模型なれば小さいものにても、御教祖の御居間に置かれてあったという。
明治七年山村御殿より帰宅さられて、始めて赤衣を召された。神懸り以後この時まで、三ッ菊の黒紋付の衣類を召されて居ったが、黒衣では身体が堪へられぬとて、赤衣に変へられたので、これは深い意義があるのである。後に神符はこの赤衣にて造られるるに至った。
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!
明治六年教祖は飯降氏に命じて、甘露台の模型を木製にて造らしめたもうた。尤も模型なれば小さいものにても、御教祖の御居間に置かれてあったという。
明治七年山村御殿より帰宅さられて、始めて赤衣を召された。神懸り以後この時まで、三ッ菊の黒紋付の衣類を召されて居ったが、黒衣では身体が堪へられぬとて、赤衣に変へられたので、これは深い意義があるのである。後に神符はこの赤衣にて造られるるに至った。
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