増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

教祖略伝 教基(五)

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八つの龍が降臨したとの伝説があり、石上神宮の奥の宮といわれている日の谷八つ岩等のイワクラが現存しピラミッド形状となってる、別名ニギハヤヒ(国見山)と呼ばれていた滝本の山中で、教祖は自らが出向いて甘露台となる聖石を選ばれた

明治十四年の末に至り、飯降氏の制作せられた甘露台の模型を、石造にて積みあげられる事となった。その時の石工は横田七次郎といい、瀧本の山中より信徒が大勢集まりて、荒石を地場に運び、漸く二段まで積まれた。

然るに石工の過失で、製作中の石をかき、遂に逃走したのでそのままに打ち捨てられた。翌年五月に、丹波市分署より警官が来て、その石を没収して持ち帰ったので、而来は再び木製のを用い、現在はその二段迄の模型が残されてある。

明治十六年教祖は八十六歳の時、勤め場所の北側に、三間四方の平屋を建築された。休息所と称するのはこれで、晩年教祖はその上段の間にあって信徒を教化さられたのである。

 

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