明治二年正月より、お筆先を起草しまたう。而来明治十四年第十七合を完成される迄、十二年間、夜な夜な行灯の下にて書き給うた。時には暗中にあって書きたまう事もあったが、その字体は少しも変わらなかった。
明治五年教祖は神命により、七十五日間の断食をされた。この断食は慶応元年の八、九月頃にも、三十日間行われたが、何れも御神酒と神水と少量の果物を召し上がるばかりで、穀気は少しも召されなかった。然し身体は少しの御衰弱もなく、力試しさへして、神の自由を示された。
尚この前後に教祖は別火別鍋と仰せられた。これは御飯と副食物を別に火を起して炊く意味で、要するに食事を全然他人と異にするというのである。
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