増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

教会略史 本部の設置(一)

 

f:id:kosetu-tenkei:20210515151015j:plain

明治20年陰暦正月27日集合写真

人間の親たる神の道を、子たる者の許しを受くべきは道にあらずと、教祖はあまで独歩の道を進まれたが、神教の宣布を念とする信者は、教会設置の公認を急務とし、種々計画する所があったが、総てごうへいに帰したので、明治十八年五月、神道本局所属の教師となり、六等教会たることを許された。

当時本教は三十有余の講社と、数万の信徒を有していたので、その統括上の理由を以て、同年六月十八日、神道本局管長の添書を得て、神道天理教会設置願を、大阪府知事宛に出願した。然るに設置願之件聞届難しとの指令でもあったので、七月十七日に再び出願したが、これ亦聞届難しとの却下せられた。

明治十九年に神道本局より、内海、古川の両氏が、視察の為地場に立寄り、親しく教祖に面接して、本教の価値を認めると共に、教会の公認せらるゝ迄、大神教会の管理を受けるべく注意した。

かかる事情立合の間に、教祖は明治二十年旧一月二十六日、一列扉開いて世界をろくぢに踏みならすとの天啓の如く、神の社を開いて、その姿をお隠しなった。信者は愕然として、一時為す所を知らなかったが、神は飯降氏に入り込んで、神意を説きたもうたので、一道の光明を見出した。

歳月は流るゝ如き、夢のようにして一年は過ぎ去った。明治二十一年旧一月二十六日、教祖の一年祭を執行中、亀田某の讒訴により、警官数名出張して、祭典を中止し、参集の信徒を追い払い、不当の干渉を恣にした。

 

※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!