神様の人間とは違って、たとへ千里隔って居ようとも、理が通っているのありますから、心通り皆映って居るのあります。人間の方から云へば、例えどんな寒村僻地に居ようとも又如何に人の眼に付かない所で心を使うても、それは恰も鏡に物の映る様に、神様の御心に照らし出されてあるのであります。従ってそれは善悪共に映ってある事は、改めて云う迄もなく明らかなることであります。
人間の心が善悪共に、神様の御心に分かるのは、日々に皆受取ると仰せられて居るのに依っても、知られるのであります。然るに受取る中に唯一つ、誠一つが天の理、天の理ならば直ぐと受取りすぐ返す、と云う御言葉があります。
この言葉から考えますると、神様には如何なる心使いも、、皆受取って頂くことが出来るのでありますが、その中で誠一つは天の理でありますから、此の誠の心であったならば、直ぐと受取り、又直ぐと御返し下さるのであります。左様考えますると、神様は本当の意味に於いては、誠より御受取り下さらん事になるのであります。
斯ういう道理から考えて行きますと、我々の御互いに於いても、物を依頼する時には相手の気に入る様にするのであります。相手の気に入らぬ事をして、物を依頼したとて、それは成功する事は出来ないのであります。これを子供の上について考えましても、子供に用をささうと云う時は、子供の好きな物をやるから、此の事せいと云ったら、子供は決して用をしてくれないのであります。これが人間の弱点と云へば弱点かも知れませんが、それが自然だから致し方がありません。
この関係を人間と神の上に移しても同じ事であります。人間が神様に働いて頂かう、充分の御守護を頂かうと思うたならば、神様の最も好きなものを差し上げて、働いて貰うより外はないのであります。然るに神様は人間と違って、人間の好きと思う様なものはお好みになりません。すれば如何云うものを神様がお好みなるのであるかと云えば、只誠一つの心より外にないのでありますから、この誠一つの心を神様に差し上げるより外に、神様を御喜ばせ申す道はないのであります
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