増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

国常立尊

年限の理(五)

知ると云うことと感ずる云うこととは大変意味が違います。教祖の御言葉でも、それを知るのは誰でもすぐ知ることが出来ます。けれども本当に教理を感ずるのには、一つの教理でも十年位はかゝるのであります。 そこでこのお道は「年限の道」と仰せられてありま…

年限の理(四)

年限の理 この様に道を辿り行くのには、何かなしに行くのであるかと云いますと、決してそうではありません。そこに何か目標がなければなりません。そしてその目標は必ずしも一様ではありません。時によると変わるのであります。初めて信仰する人は、神様に身…

不弱不死(二)

以上二つは誰しも其の可能を、教理的に会得出来るとしても、今一つ死なずと云う事は容易に分からん事なのであります。それは世界の心が澄んで、甘露台が置かれたならば、人間の定命が百十五才に定められると云う事は、聞いて居ります。又それから先は心次第…

不弱不死

此の道は萬助けの道でありますから、何助けられんと云う事は仰せられぬのであります。人間も心次第に依っては、どんな珍らし不思議な助けをして下さるのであります。 即ち人間が真実の心になって願へば、真実の心相応の理は見せて下さるのであります。其の中…

往還の道(二)

それで或時には信徒の人々に対しては、奈良初瀬七里の間が都会になる事につて、妾にはそうなるのが見えて居るが、お前等には見えないかと仰せになった事があります。斯様に御教祖には百年以後の事までも、眼の前に在るかの様に見えて居たのであります。 然し…

往還の道(一)

御教祖の御在世中に、此の道に付かれた人々は、教理が理解出来たから、此の道へ付いて来られたのではありません。なぜなら教祖の仰せられることは、現在の事もあれば十年廿年若しくは百年後の事もあるのではありますから、それを理解した上でなければ、信仰…

一夜の間にも(二)

人間と神様ともやはり其の通りで、其の心さへ立てかえて、神様の思召通りになれば、神様は直ちに御許し下さるのであります。若し人間がして来ただけの事をして返さなければ、神様の御許しが頂けないと云うのであったならば、人間は現世だけでなく、生れ変り…

一夜の間にも(一)

多くの御道の人の中には、斯う云う心を持って居る人があります。それは自分は今日迄に、悪い行いをして来たのであるから、中々好い心にはなれないと思い込んで居る事であります。是は一寸考えたら、その通りであります。即ち因縁の深い者は、其の因縁を返さ…

神の受取(二)

なぜなら此の世界にありとあらゆるものは、皆神様が人間に御貸し下されて居るのでありますから、云いかへれば皆神様のものであります。それらのものを差し上げたからと云うでも、それは要するに返した迄であって、差し上げたと云うことは云えないのでありま…

神の受取(一)

神様の人間とは違って、たとへ千里隔って居ようとも、理が通っているのありますから、心通り皆映って居るのあります。人間の方から云へば、例えどんな寒村僻地に居ようとも又如何に人の眼に付かない所で心を使うても、それは恰も鏡に物の映る様に、神様の御…

甘露台は宝

石造り甘露台 寿命薬 甘露がふる 中山みき 凡そ人として自分の生命が、一日でも長く此の世にある様に、願はぬ人はないのであります。死を望んいる仏教の信者でも、さて今死なねばならぬ時は、必ず死を恐れて医者に治癒せられんことを欲するのであります。こ…

神の透見(一)

人間の眼と云うものは妙なもので、暗い所からは明るい所がよく見えまするが、明るい所からは暗い所が中々見えないものであります。日中に都会の小路を通りますると、簾でもつるしてあると、外から内の様子は少しも分からぬのでありますが、夜は家の内へ電灯…

神の働(二)

人間自身の知って居る事は云う迄もなく、自分で思うたか思わぬか分からぬ様な事までも、神様には分かっているのであります。又人間が自分がして忘れてしもうて居ることでも、神様には分かって居るのであります。 例えば人間が人に対して、悪意を持ってしまっ…

神の働(一)

人間の身上は云う迄もなく、神様からの借物でありますが、借物ばかりであっても、其の身の内へ神様が入り込んで、御働き下さらなかったら、何にもならんのであります。 身の内に温み水気の御守護から、吸う息出す息の御守護を下されて居るから、生きて行ける…

勇むは神の心(二)

こうして神様の御心に適う様に、懴悔をしたならば勇みが出て来ます。すれば神様の御心に添うて働かして頂く様になりますから、心が何時も喜び勇んで来るのであります。それを御神楽歌に、いつまで信心したとても、ようきづくめである程に、と仰せられたので…