人間の心を汚くするものは、人間心と、物心とである。人間心とは、人を相手にして生活を律しようとするこゝろであって、物心とは、物ばかりに目をつけて暮らし行こうする心である。この人間心と物心とがお互いの心から離れない内は、どうしても教祖の道を通ことは出来ない。私等は一切の物質から離れ、一切の人から目を閉じて、只神と共に暮らすと云う境涯に入らねば、本当の信仰の妙境に入ったと云うことは出来ないのである。
私等が神の懐に抱かれると云うことは、心を抱いて貰うことである。心が物や人に喰いついている間は、とても神様に近づくことは出来ないのである。一切の物を手離すことが、既に神様に抱かれていることになるのである。
ところが今の人々は、神様の抱いて貰へない道を通っているのである。色々のものが持ちたいとか、廣くものを知りたいと云う心は、神様に抱いて貰へない様にする道であって、一方で抱いて貰いたいと願いながら、片手になお刃物を掴んでいる様なものである。これではとても神様の抱いて貰うことは出来ないのである。
学問も財産も地位も、あらゆるものを捨てて、唯一筋に神を信じさへすれば、神様は私等をしっかりと抱いて下されるのである。その時には腹の底から何とも云へない、喜びの心が湧いて来るのである。その喜びこそ、信仰のすべてを掴んだものであって、生涯の道を照らす光である。私等は総てのものを捨て、唯一条の神を信じ、神様の懐にしっかりと抱かれなければならないのである。
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