人間は、ただ単に生きると云うことだけが結構ならば、何も信仰をする必要はないのである。太陽がどんな物にも一様の光をかけて下さる様に、神様も誰彼の差別なく絶えず御守護をして下さっているのであり、けれども、神様の命令をすなおに聞き、真面目に道の上に働くものには、神様の特別の御守護を下れるのである。その特別の御守護を生きることが、道のものとしては幸福であり、結構なのである。お道につかして貰って、お道は結構だと云っても、自分は本当に神様から特別の御守護を頂いていることが分からなかったならば、お道の信仰をすることの嬉しさはない筈である。
お互に、人の前で自然と喜びの言葉が出て来る程に、腹の底に結構さが湧いて来なければ、お道の結構さはなのである。お道の結構は即ち我が身の結構である。
神様の働きが自分の上に現はれるには、お道が自分のものにならなければならぬ。即ちお道と自分とがぴったり一つになっていなければならないのである。
神様は、教祖五十年の道すがらを本当の道を仰せらているが、教祖の道そのまゝが、自分のものにならねば嘘である。所が今の道の人々は、教祖は白因縁の方であるから、悪因縁の我々は教祖の道は到底通れないと云うのである。それはそうかも分らぬ。しかし神様は、親が通って来ただけの道を全部通りへしをせよと仰せられるのではない。「十のものなら二分三分通ってくれたら、あとは神が足して、十分として受け取ってやろう」と仰せ下されたのである。
この二分か三分の間を一生懸命に通ったならば、親神は十分として受け取って下されるのである。親様は子供の為にそこまでの御慈悲を持って下されのであるから、我々はどんな道であっても、そこを喜んで通らして頂き、神様の特別の御守護を頂かねばならぬのである。
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⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★天の理
★大平良平資料集
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にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
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