増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

むつかしい道 

f:id:kosetu-tenkei:20211205110902j:plain

神様の道は仮名に仮名を付けた様な、やわらかやさしい道であると聞かして貰うて居るのと、難しい道とは大変な相違の様に思われるのでありますが、これは二つの事を一つにして考えるから、違って来るのであります。何故と申しましたら、神様の御説き下される所は、人間が会得が出来、誰にも読める様に、仮名字を以てお書き残し下されてあるのでありますから、柔らか優しい教えに相違ないのであります。又誰にも分からぬと云う様な、難しい教えではありません。

けれどもその教え通りの道を通ると云う事になると、難しい道になって来るのであります。何故なら世界では今まで無かった道であり、且教祖の道すがらから考えましても、火の中淵の中と云う様な、恐しい道を通らねばならんのでありますから、中々容易で通れる道ではありません。けれども其の通りの道を通り抜けなければ、自分の因縁を切って頂くことも出来なければ、神様に近づかして頂く事も出来ないのでありますから、教へを聞いた以上、どうしても其の道を進んで行かねばならんでのあります。そこで、此の道は難しい道になるのでりあります。

そこで難しい道を通るには、それだけの決心をして通って行かなければ、中途にして挫折するに至るのであります。そのかわりに通り抜けたら、神様に近づく事が出来るのでありますから、神一条の生活に入る事が出来るのであります。

それ故に此の道の教は優しいが、実地に通ると云う事になれば、困難な道であると云う事を、合点して通って行かねばなりません。

然し又その難しい所を通るから、身に理が添うて来るので、又難しい中に楽しみの理があるのであります。だから難しいからと云うて、それに心を取られずに喜んで通らねばなりません。喜んで通ったら、その難しい道も、通りよい道になって来るのであります。

1月26日春の大祭特別記念神の古記貸し物、借り物の話

10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本