増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

悟得と神意

f:id:kosetu-tenkei:20211205090918j:plain 胸が分かると云う事は、大体に於て二つに分けて考える事が出来るのであります。其の一つは神様の胸と云うのであって即ち道を聞き分けて来たならば、次第に神様の思召が会得せられると見るのであります。今一つは、胸を各自の胸と見るのでありまして、自分の心が本当に分かって来たならば、如何なる事も自然に会得出来ると見るのであります。この二つの見方に依って、一つは他力の教義になるのでありまして、一つは自力の教義になって来るのであります。

 然しお道ではこう二つに分れて居ないので、自分の心が本当に分かって来れば、神様の御心も分かって来るし、神様の御心が分かって来れば自分の心も分けって来るとされて居るのでありますから、二者融合して居ると見るのが、最も妥当な見方であります。

 そこで胸が分ければ日が来る云うことがありますが、これはどう云う事であるかと申しますると、神様の御心が分かって来れば、神様の仰せになった事が、現れて来ると云うのであります。これは即ち心にある理が、表へ現れて来るのでありますから、我が心の内に分かった事、若しくは在る事より外は、現れないのであります。そこで神様の御心が分かったと云う事は、即ち現れべき時が来て居るのでありますから、やがて事実になって来るのであります。その事実として現れて来た時が、即ちその日が来たのであります。故にこれを更に言葉を換えて云へば、その事実が現れるべき時が来たから、人間にそれが分かって来るのだと云う事も出来るのであります。

すれば神様の御心とは、どういう御心であるかもと申しますると、月日の心えらい思惑と、仰せになって居るのでありとます。無論神様の御心を、人間で計る事は容易でありませんが、えらい思惑と仰せられた所から考えましたら、これは非常な事に相違ないのであります。

 これを教理の上について考えましたら、神様は世の立替をなし、世界をろくぢに踏みならす為に天下られて此の道をお付けになったのでありますから、これは全く大事業であります。其の大事業を神様は一日も早く、完成させたいと望んで居られるのであります。これを以てみても月日がせき込んで居られるのは明かであります。

 然しながら此の大事業は、其の根本から云へば、神様の思召しから出来て行くのでありますが、それを現世に於て完成して行くのは、人間でありますから、神様の言葉にも、神が話し人間が果たして行く、と仰せになって居ります。即ち神様の差図を受けて、人間がそれを遂行して行くのであります。従って人間が神様の御心をくみ分ける事が出来なかったら、それを実現して行く事が出来ないのであります。

 それ故に神様は、人間に早く其の胸を分からせて、神様の仰せになった事を、一日も早く実現させたいと、心を急がせて居られるのであります。これを神様の急き込み云うのであります。

 

※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!

10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本