入嫁後は夫に対して貞操に、親には孝順の道を立て、下女下男に憐れみ、隣家の人々に親切を尽くし、家事を手伝われるの外、自ら労働をも為したもうた。両親はこれを見ていたく満足せられ、教祖十六歳のとき、世帯一切を委せて隠居さられた。以来教祖は一家の主婦として、家事万端を処理せられる身となられた。
御年十九歳の時、浄土欣求の信仰次第に深く、勾田村の善福寺で五重相伝の伝授を受けられた。五重相伝は浄土宗の重要なる信仰的儀式にして、特別なる七日間の修法を経て、授戒されれるもので、多くは老年者が受けるのであるが、教祖の強烈なる信仰は直ちにその本願を遂行せられた。
文政三年六月十二日、教祖二十三の時、舅前善右衞門殿歿せられ、同年九月頃より教祖は懐胎せられた。その翌年臨月の身をもって、病める姑を背負い、屋敷内を歩き、又は知人の家の伴い、姑の望みを果して、自分の喜びとせられた。斯くて文政四年七月二十四日、長男秀司殿を生ませられ、母としての一歩を踏みたもうた。
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