文政八年二十八歳にして、長女政子様を産み、三十歳の時、次女安子様を産みたまいしが、政子様は後に豊田村の福井家に嫁し、安子様は天保元年、四歳にて逝去せられた。
その当時中山家に隣家の子供のが、乳不足の為衰弱して、両親は殊に困難しておられた。教祖は一男二女あるに拘わらず、時々乳を与えておられたが、後には我が家へ引取り、育児を世話までなされたので、その丹精により預り子も元気付き、教祖も喜んでおられた。
然るに日ならずして俄に発熱し、疱瘡に罹りたるのみならず、十一日目から黒疱瘡にいう重篤に変じた。その両親の悲嘆を見るに忍びず、且同家に相続者の絶えるを案じ、殊には世話中の出来事なれば、如何にもして助けんと、安子様を人に預けて、日夜看護に従事せられた。
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