増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

人間創造の屋敷

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屋敷とはいうまでもなく、元の中山家の屋敷であって、神樣の仰せに依ればこの世が未だ泥海世界であった時に、月日両神が現れて、道具衆を集め、人間を御造りなされたのであります。ところがその中で伊邪那美命が、どうしても神様の仰せに従はれぬ。そこで月日から、子数の年限即ち九億九万九千九百九十九年たったら、元の屋敷へ伴れ帰りて、神として敬はすという事をいい聞かせ、それで得心させ、人間を御始め下されたのであります。その時人間を宿し込まれた所が、今の地場のある所であります。

それから三年三月そこに止まって後、日本国中へ七十五日の間に人間を生みおろして下されたのであります。

そこで天保九年に、教祖に天啓があったというのは、教祖は伊邪那美命の魂を持って生まれておられたので、この方が御地場へ帰って神となられるのは、即ちこの世始まった時から、定まっている因縁なのであります。それが前川家に生れられたのは、伊邪那岐命とこの世を始めた時の様に、御地場に集めなさらなければならぬ所からでありました。

教祖が僅か十歳前後の御身で、尼法師たらんと希望されたのは、要するにこの美様の魂の因縁に依るものであります。

近頃の人は教祖が幼少の時から、身体が弱かったから、厭世思想に囚われたのだろうか、母御が浄土宗の熱心な信者であったから教祖もその感化を受けて尼法師になろうと、発願せられたのだろうかというておりますが、実は魂の因縁に然らしむる所なのであります。

即ち美様が人間を始めて御生みになった時の苦しみが、忘れるに忘れられなんだので、その後は幾度も生れ変わりの道を通られたが、何時も独り暮しであったのであります。ところがこの世の始めの時、月日の諭しを受けられた様に、教祖は両親の諭しに依って、未だ十三歳のうち若い御年で、中山家に縁付いて来られたので、即ちこれは月日の約束を果たされたのであります。

それから教祖は、様々な道を通って来れたのでありますが、殊に三十一歳の時、隣家の子供を助ける為に、自分の子二人迄の寿命を差し上げ、尚願い満ちたる上は、我が身の寿命も差し上げると、誓われたのであります。これは普通の道徳から考えたら、随分と論議の余地があるのであります。何故なら教祖の御二人の子供は、教祖の夫善兵衞様の間に出来た子であるから、教祖一人が自由にする事は甚だ勝手過ぎた事である。又教祖自身も、妻たる身でありながら、夫の許しを得ずに、我が身の寿命を神に差し上げられるというのは、甚だ当を得ない行為であると、いわれる点があるからであります。

然し是は左様した普通の道徳を以て、律すべきものではありません。何故なら神樣が天下られる年限が、近づいて来るから、神様は非常に急き込みになっていたのであります。

ところが神懸りという様な事は、普通の状態では現れるものではなく、非常な力を持った、誠にならなければならぬものでありました。それで教祖が熱狂的な真実に這入って行かれたので、これ即ち因縁がしからしめたのであります。

教祖の真実が進んで来たから、そこで神懸りという事実が現れて来たのであります。そこで地場と年限と教祖が揃うたのであります。従って如何なる人間に取って教祖は元の親であり、地場は元の親里となる事が、明らかにせられたのであります。

従って世界の人間は、皆この地場の土を踏ますと、教祖は仰せになったのであります殊にこの道に早く付いたものは、それだけ教祖と、深い因縁を持っているのでありあます。その中でもこの地場に暮らす人々は、更に深い因縁があるのであります。それを教祖は五代以前から世話になった者を集めて、神が恩返しをするのやと仰せになった。

信仰の浅い人はこの理が分からんから、地場にいる人は皆神様の様な心の澄んだ人ばかりおると思うが、それは間違いであります。即ち教祖の因縁から、屋敷へ引き寄せられているだけで、その中には心の清い人もあれば、汚い人もあるのであります。故に理を信じて人を信ぜぬ様にして行かねば

なりません。

 

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