教祖五十八の歳の時、櫟本の梶本家へ縁付かれた春子様、始めて帯屋許しを与えられた。信者へは六十一歳の時百姓惣助の妻お雪に、自ら行きて帯屋許しをせられたのは始めである。
かく教祖の教えが、主として帯屋許しから始まったので、その当時の人々は帯屋神様と称して、安産のみの守護を司る神の如く信じていた。
文久二年安堵村から、教祖の噂を聞いて、重病人の御助けを依頼に来た。教祖は鈴木清蔵を連れて、自ら出張になり、早速御助をせられ、帰途飯田岩次郎の腹痛に罹れるを助けられた。
文久三年の至って、教祖を神として信仰する、仲田、辻、山澤の諸氏が現れた。この年教祖は再び安堵村へ御出掛けになった。
翌元治元年には、山中、飯降、桝井の諸氏が入信せられたが、殊に飯降氏は、大工棟梁として教祖の待兼ねたまいし人であった。
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