増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

出産の理

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世界では子供の事を神様よりの授かりものという通り、如何に人間が欲しいと思うても、子の産まれない人もあれば、有り過ぎてを困る程生まれる人もあります。斯様に子供が人間の力で如何ともする事が出来ないというのは、即ち神様の御守護を頂かねばならぬ事を示して居るものであります。

子が母の胎内に宿って、生れ出る十ヶ月の胎内生活も、又神の守護に依らねばならぬので、これ又母の力を以て如何ともする事が出来ないのであります。

それら十ヶ月後に子が生まれ時にも、自分の力で生む事が出来ないのであります。それ故お道では産というものに対しては、特に帯屋ゆるしというのがあって、教祖はこの帯屋許しと疱瘡守りを万道開けと仰せになったのであります。

それで本教が始めて教祖に依って伝へられた当時は、世間の人から産(おびや)の神様といわれて居たのであります。それは主として産についての守護が多かったからであります。現に御教祖が道を説かれた初年に、道に付かれた方は、多くこの産からであります。

こそでこの産というのは、何故産というのであるかと申しますると、これはお道では帯屋三神の理というのでありあります。即ち子が生まれる時に、胎内の肉縁を切って下る神様と、子を引き出して下さる神様と、跡をつないで下さる神様と、この三神の御守護に依って、始めて産が出来るから三というのであります。世界では難産というのは、この三神が揃われないから、肉縁を切って貰っても、引き出しの神様の守護が無かったら子が生まれぬのであります。こういう場合に難産というのであります。又あとのつなぎが悪かったら、それから産後の病気を引き起すに至るのであります。

又引き出して下さる神様が、御入り込みになると陣痛が起こって来るのであります。これは普通しきりというのでありますが、このしきりが来たら、俗に青竹を割る程の力が出るという事であります。

この理を御教理の上に、しきり根性しきり力しきり知恵と仰せになって居ります。即ち如何なる事をするにも、しきりをせなければ出来ないので、しきればそれから力も出てくれば、知恵も生まれて来るのであります。それから考へますると、御道の事は此のしきり一つが肝腎であります。

兎に角子が宿るのも、生れ出るもの、こうした神様の御守護に依って行はれるのでありまして、更に進んでいへば、死ぬる時も又神様の御守護に依らねばならんのでありますから、子の無い物は神様に頼んで、子を授けて貰う様にせなければなしません。それ故一子の願いや、一つのこうを見にゃならぬ、と仰せになって居るのであります。

 

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