増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

教会略史・最終章 最近の事実

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満9歳8ヵ月で二代目館長に就いた山中正善

大正三年十二月最終の日、前館長が暗雲閉ざして天日晦きに、忽然として神に召されて帰幽せられた。しかし嗣子正善殿が、父君の後を継がれ、山澤氏が管長職務摂行者となられて翌大正四年四月、神殿建築報告祭が、各方面の人々を招待して、盛大に執行せられたのである。

然るに六月二十六日、松村氏が独立の件に関しては嫌疑を受け、奈良監獄の未決監に収容せられたのである。

然るに公判の結果嫌疑ははれて、大正五年八月二十二日、奈良地方裁判所に於いて無罪の判決あり、更に大阪控訴院に於いて又々無罪の判決があったので、同月二十五日一切の元職に復された。

翌大正七年十月、青年会が創立せられ、翌年一月その発会式が行はれてより、活気が本教に漲り始めた。加ふる同年四月婦人会総会に、天理女学校創設の議が発表されるゝや新機運の動かんとするのが認めらるゝに至った。

殊に八月に行はれが青年会の講習は、更にこの感を深くせしめ、九月より行はれた民力涵養の講習会は、本教の体外運動として効果があった。

 大正十年一月に至っては、本教々学の改善を図り、学校長の交迭を行うと共に、教庁内に、教学部を設置し、教学の経済的基礎を確率し、教学の統一を図り、三月には天理教財団法人の認可を得て、本教の経済的基礎を確立し、四月より天理女学校を開校するに至った。大正十年一月、春季大祭を期して、教祖四十年祭の提唱せらるゝや、教内一般に異常な感激を生じ、活気溌溂たる信仰の更生するとともに、教学の勃興を来し、大正十一年春三月、本教未曾有の、教会長講習会を開催せらるゝや、倍加運動の声は一段高く、今や全教を挙げて四十年祭の為に、懸命の活動をなしつゝある。

 

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